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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter135
「天使裁判-04-」
 



 幼いころから、サマエルには常に確固たる自信があった。
 自分がなすべき答えがすべて、はっきりと心に刻まれていた。
 周囲から間違いを正されたこともある。反省を促されたこともある。
 それでも、彼は一度として他の介入による自らの変化を許さなかった。
 あくまで自らの答えを信じ、それを疑うことなど考えもしない。
 食事や仕事、モラルに至るまで、あらゆる決定を彼は一人で行ってきた。
 あまりにも頑固なため、彼はいつしか盲目の天使と呼ばれるようになる。
 そんな気質にも関わらず、サマエルは野心と実力を行使し、
 気づけば熾天使に届く手前、という地位まで上り詰めていた。
 だが、平坦な生活を望んでいた一部の天使からは、
 サマエルの存在が疎ましいものへと感じられていく。
 やがて彼は、当時必要悪として行われていた
 悪魔との取引を理由に裁判にかけられることになった。
 暗黙の了解として成り立っている犯罪を、
 サマエル一人の責任ということにして追求したのだ。
 自分の意見を曲げようとしない彼の周囲に、一人も味方はいない。
 裁判長であり、智天使長だったジョフは彼に言った。
「重要なのは誰もが行っていたか、ということではない。
 お前が行っていたか、ということだ」
「答えは同じだ。俺を含めて、ほとんどの天使がやっていたことだよ」
 そう訴えるサマエルだが、裁定が覆ることはなかった。
 天空の監獄、と呼ばれるエウロパ宮殿の地下に彼は拘束される。
 怒りに打ち震えサマエルはジョフに罵声を浴びせた。
「俺は間違っちゃいない・・・間違ってるのはてめぇらだ!
 こんなことで俺を堕天使扱いする老賢者どもが間違ってんだ!
 違うか? この俺様がいなけりゃ、愚図共は誰が導いてやるんだ!」
「簡単な話だ。お前以外のものが導く。
 お前は最早、お前の言う愚図共より価値のない存在なのだからな」
 ジョフは敢えてサマエルに厳しい言葉を返す。
 彼の思い上がりが許せなかったという理由もある。
 だがそれ以上に、彼の傲慢がひいては
 反乱という危険をはらんでいると理解していたからだ。
 そう――――かの熾天使のように。

04月07日(火)  PM21:50
アルカデイア・辺境・クローバー砂漠脇の森

 皮肉なものだ。そう心の中でサマエルは思う。
 あれほど憎いと思った老賢者の命令で動かなければならないこと。
 また、逆に老賢者がこうして自分を使っているということ。
 愚にもつかぬとサマエルは一笑に伏した。
 視線は前へ、隙などは見せない。
 痺れを切らしたのか、凪がサマエルへと走って向かってきた。
 バルビエルの針攻撃を上手くかわして、サマエルに近づいていく。
 そこへサマエルが鉄球を投げ放った。
 両手で鉄球を抑えようとするが、凪の体は宙に浮いて吹き飛ばされる。
 しかし、すんでで凪の身体をリヴィーアサンが受け止めた。
 二人分の力で鉄球は押し返される。
 同時にリヴィーアサンがサマエルの目前へと迫った。
「あんたがルシエよりタフか、試してあげるわ」
 彼女は既に、黒い炎を圧縮した球体を手の上に乗せている。
 球体をサマエルに叩きこもうと、足を踏み出した刹那。
 足元に突然針が生成され、リヴィーアサンの足先を貫いた。
 サマエルはその瞬間、鉄球を戻し彼女へと全力で放つ。
 思わず飛び出た凪のおかげで威力は分散されたが、
 二人とも数メートルほど吹き飛ばされてしまった。
「バルビエルのシューゲイザーは目測不可能、発動後は回避もほぼ不可能。
 まあ空飛ばれちまえば大したトラップじゃねえが、
 飛んでくるならバルビエルにとっては狙いやすいだろうぜ」
 ただでさえサマエルのエーヴィゲ・ドレウングは高い命中率を誇る。
 その上、地面から狙えばバルビエルのシューゲイザーと呼ばれる針の罠。
 空から行こうとすれば、飛来する針をかわしきれない。
 いよいよもって凪には打つ手が見当たらなかった。
(この連携を破るしかないのか? でも、どうやって・・・)
 身体を起こすと凪はいつでも鉄球をかわせるように姿勢を取る。
 そこへリヴィーアサンが声をかけてきた。
「何か策はある?」
「・・・ごめん、今考えてるけどまだ何も。
 そういえば・・・カシスと黒澤先生が見当たらないな」
 サマエルに隙を見せないように辺りを見回すが、二人の姿がなかった。
 二人はほぼ同時にある推測を思い浮かべ、お互いの顔を見合う。
「なんとかなるかもしれないわね、凪」
「うん・・・二人を信じよう」
 黒澤とカシスの姿がないことには、当然サマエルも気づいていた。
 流石に一人で五人を相手にするのは厳しいし、
 カシスたちがバルビエルを倒すことなど無理だと考え無視したのだ。
 そんな中、ようやくラファエルが神剣ラフォルグを鞘から抜く。
 相手が天使ということもあってか、今まで攻撃を躊躇していた。
「僕だけがのんきに見ているわけには・・・いかないよね」
 ラファエルは凪たちのもとへ走っていく。
 遠くからバルビエルが具現した針が飛来していた。
 すかさずラファエルは、飛んでくる針に向かって剣を振り上げる。
「タイプ・ゼロ・ポジティブ――――。
 全部は無理でも、具現による攻撃の一つ二つなら吸収できるよ」

04月07日(火)  PM22:12
アルカデイア・辺境・クローバー砂漠脇の森

 凪たちから離れ、カシスは樹の上へと姿を潜めていた。
 重要なのは、相手を注意深く観察し、自分の実力と比較すること。
 カシスは即座にバルビエルの元へ向かおうとは考えずに、
 まずはリヴィーアサンに教えられたことを思い出す。
 不用意に攻撃を仕掛けることは、勇気や度胸とは呼ばない。
 先んじて仕掛けたいという衝動を抑え、
 ひとまずカシスはバルビエルとの距離を測った。
(最初見たときより、若干遠くに下がってる・・・気がするの)
 考えてみれば、同じところにじっとしているわけもない。
 姿を見失わないように、カシスはバルビエルの方向を見続けていた。
 こちらの動きに気づいているのか。それは定かではない。
 しかし、樹の上から見ていれば、動きを追うことは可能だろう。
 故に罠を張っている可能性は考慮すべきだ、とカシスは考えた。
(遠距離に慣れてるあっちに比べて、
 近距離の具現は私の方が速くイメージできるはずなの)
 問題は如何にしてバルビエルの懐まで潜り込むか。
 幸いにしてバルビエルの注意は、凪たちへと向いている。
 無論、カシスに無警戒ということはないが隙はあるはずだ。
(にしても・・・アシュタロスの奴はどこ行ったの?
 人に敵を押しつけてどっか行くなんて、やっぱ使えない奴なの)
 黒澤への恨み事をぶつぶつと口にしながら、
 カシスは慎重にバルビエルへと近づいていく。
 足音を立てぬよう、樹と樹の間を渡りある程度の距離まで詰めていった。
 すると、ある地点で不意に嫌な感覚を覚えカシスは動きを止める。
(何か解らないけど・・・ここから先に進むのはヤバい気がするの)
「・・・なかなか使える勘を持ってるじゃねえか。
 出でよ運命の回転盤――――ヤクタ・アーレア・エスト」
 バルビエルは手を地面につき、眼前に円盤を具現する。
 自らの動向がバレていたことは仕方ないと、カシスは気分を落ち着けた。
 それよりも、注意するべきはバルビエルの手前に現れた円盤だ。
 何か解らない以上、カシスの取る手段はそう多くはない。
「圧縮率は高・・・半径1mでアーカイブなの」
「倍率は十二倍、まあまあの目が出たな」
 瞬間、互いの攻撃が相手めがけて射出された。
 カシスの具現した円状の水は、バルビエルの肩をかすっていく。
 円盤から具現された針は、回避したカシスの腹部をかすめた。
 その直後にバルビエルは口元に笑みを浮かべる。
 サングラスをしているせいか、カシスから表情はよく解らなかった。
「お前さあ、そんなに強い悪魔じゃねえだろ」
 突然のバルビエルの言葉に、ぴくりとカシスの眉が動く。
 何を根拠に、と思うがすぐさま思考を攻撃へと修正した。
 第二撃はカシスが得意としている遠隔操作を行う。
 まずは囮として水を具現して、樹を隠れ蓑にもう一つを敵の背後へ。
「シカトかよ・・・まあいいけどさ。次はもっと俺に運が向いてくる」
 不敵な笑みを浮かべ、バルビエルは円盤のスロットを回した。
 同じ印が三つ揃うのに、さほど時間はかからない。
 何故なら、バルビエルの目にはそのスロットの動きが見えているからだ。
 いわゆる目押しに似た能力が彼には備わっている。
「運がない奴は何をしても駄目だ。前の俺がそうだった。
 なァ女、お前はどうだ? お前の運は尽きてやしねえか?」
「黙れこの雄豚。あんたの方こそ、べらべら喋って
 すぐ死ぬ格下っぽい雰囲気出しまくりなの」
「・・・ふふん。やっぱり、お前あんまり強くねえよ」
 安い挑発に乗ってはいけない。そう思ってカシスはすぐにそれを諦めた。
(あんな野郎にコケにされて黙ってるほど、私は冷静な奴じゃないの)
 作戦は変えないが、沸々と湧き上がる怒りを抑えるつもりもない。
 水を具現すると先ほどと同じように、バルビエルへと走らせた。
 少し遅れて、目立たぬようにもう一つを樹の影へと潜ませる。
 同時にバルビエルの眼前にある円盤が、頭上高くへと浮き上がった。
 円盤からカシスに向かって、数発の針が楕円軌道を描き発射される。
 具現したものに意識を集中させたいので、カシスとしては
 なるべく回避行動をとらないように動かなければならなかった。
 樹から下りたり、他の樹に飛び移っては水の動きを追えなくなる。
 そこで、カシスは針という形を利用し、身体をなるべく斜に構えた。
 更に水の防壁を手前に具現して防御する。
 完璧とは言えないが、大きなダメージは防ぐことができる。
 針の幾つかはカシスの腕や足の肉を抉り取ったが、
 幸いなことに致命傷とまではいかなかった。
(この程度の傷なら、今まで何度も経験してきたの)
 囮として放った水はバルビエルの身体を掠めて消えていく。
 予定通り、油断を招くには十分な条件だ。
 樹の間を通り抜けバルビエルの背後に回ったもう一つの水は、
 弧を描いてその後ろ姿へと迫っていく。
(何だかんだ挑発しても、あんたはやっぱり雑魚。私の勝ちなの)
 勝利を確信したカシスは、蔑むような笑みを浮かべた。
 しかし、次の瞬間彼女の右肩を針が貫く。
「えっ・・・?」
 突然のことでカシスは状況が理解できない。
 バルビエルの方を見ると、彼は当たり前のように無傷で立っていた。
 その表情は心なしか、先ほどよりも冷たく見える。
「よく生きてるじゃねえか。思ったより、出来るってことか?
 一応今ので心臓を貫いて終わりのはずだったんだけどよぉ」
 彼はサングラスに指をあてて、口笛を軽く吹く。
 一刻も早く、カシスは思考を立て直す必要があった。
 肩口の傷は貫通しているが、腕が動かないということはない。
 ただし、吹き出た血の量を考えると、楽観はできなかった。
 なぜ自分の攻撃が見切られたのか。そこがカシスには解らない。
 単にバルビエルの言う運というものが作用したのか。
 自分と同じく、相手も二つ攻撃を仕掛けたということに驚きはなかった。
 むしろ後悔のほうが大きい。
(私に出来て相手に出来ないと考えた。それが私の油断、なの)
 何にせよ、まだ勝機が消えたわけではないとカシスは判断した。
 歯を食いしばり、カシスはバルビエルのことを睨みつける。
 唯一つ解らないのは、先ほど彼が口にした言葉だ。
(心臓を貫くって言ってたけど、私が受けたのは肩口の一撃だけ。
 一体どういうことなの?)
 気にはなるが、解らないことはひとまず先送りにする。
 カシスは再び水を具現するために集中を始めた。
「気が早えな・・・少しは思い知ったほうがいいぜ?
 お前と俺の力の差って奴をな」
 挑発の言葉を浴びせながら、バルビエルは円盤のスロットを回す。
 軽口を叩きながらも、決して闘いを忘れてはいなかった。
(あいつは強い。私が普通に闘えば勝てないクラスの天使かも。
 でもリヴィ様は言ってくれた。頭を使えば私に勝てない敵はいないって)
 と思いはしたが、闘いの最中でそれを行うのが難しいとは理解している。
 一瞬の反応が全てを決めかねない最中、思考を行う余裕などない。
 ないのだが、それが出来る者は確かに存在するのだ。
 本来、それは日々の弛まぬ鍛練で補うことができる。
 繰り返し瞬間の思考を続けることで、慣れることは可能なのだ。
 残念ながら、カシスにそんな積み重ねはない。
(大体、こういうときって最初は噛ませ犬が来るはずなの。
 天使ってやっぱり常識がなってないの。
 こんなことなら・・・リヴィ様と組手もっとやればよかったの)
「一つ面白い、いや、ためになること教えてやろうか?」
 バルビエルは余裕綽々といった態度で、そんなことを言い出した。
「お前は遠距離攻撃には向いてねえ。そいつは確かだ」
「余計なお世話なの! そもそも、それだけじゃ全然ためにならないの!」
「それもそうか。まあ、敵に塩を送る馬鹿もそうはいねえさ」
 口元に笑みを浮かべると、バルビエルは準備を済ませ円盤を手放した。
 円盤はすっと彼の頭上に浮かび上がり、針を具現していく。
「倍率・・・二百五十六倍。幕引きも近づいてきたなァ」
 彼の頭上に生成された針は百以上にも及ぶ。
 まるでロケットの砲台が如く、重厚な雰囲気すら漂わせていた。
 それらが全て、カシスめがけて発射される。
 とりあえずカシスは、かわすことに専念するしかなかった。
 カシスは樹を飛び移り、針の直撃をかわしていく。
 幾つかの針が身体のあちこちをかすめていくが、
 身体の中心には水で防壁を具現しているため直撃は避けられた。
(けど、離れてちゃあいつを倒せないの)
 後退するばかりでは勝機は遠のくばかり。
 スロットを回している瞬間にバルビエルは隙を見せるが、
 飛び込んで攻撃できるほどの隙ではない。
 隙をついて攻撃されないように、距離を保っているからだろう。
(そうだ。それなら、奴の隙を大きくすればいい。
 一度目の攻撃をかわしつつ前進すればいいの)
 問題は、一撃目をかわしつつ前進するには運が必要だということだ。
 先ほどの距離でさえ、カシスには針の速度を目で追い回避するのが限界。
 前進しながらでは、かわすことなど不可能に等しい。
(結局一か八かってやり方か・・・毎度毎度、スマートじゃないの)
 だが、このまま名案が浮かぶのを待っている余裕はなかった。
 カシスは樹と樹を飛び跳ねて、先ほどの距離までバルビエルに近づく。
「おお。まだ生きてたか。あんまり遠くに行ったんで、
 逃げたか死んだか解らなくなってたとこだぜ」
 今度は先んじて、バルビエルが円盤のスロットを回した。
 その瞬間、カシスは彼めがけて樹を飛び移る。
「そう来ると思ってたぜ。これで、俺の運を試せる」
 距離を半分まで縮めたところで、バルビエルの円盤が針を発射した。
 数は十程度。かわせる量かと言えば微妙なところだろう。
 カシスは両手で顔と胸を庇い、身体を縮めて移動した。
 背中や腕などに軽傷を負いはしたが、その程度で動きは止まらない。
「いいねぇ・・・それで俺の手前までは来れるな」
 バルビエルが円盤のスロットを回す様子はない。
 恐らくは、一度放った針を消すまでは次が撃てないのだろう。
 針が消えた瞬間、カシスは水を両手に具現していた。
 同時にバルビエルはスロットを再び回し始める。
 お互いの視線が交差した時、二人は一メートルほどの距離に立っていた。
「私の勝ちなの・・・!」
「いいや、俺の運は負けねえよ」
 円盤は頭上へと上がる動作を見せず、そのまま針を具現、発射させる。
 多少予想外ではあったものの、カシスはそれを圧縮した水で弾いた。
 左手の水は勢いを弱めたが、まだ右手に圧縮された水が残っている。
 だが、カシスは背後に何かを感じ振り向いて右手を大きく振るった。
 振り向くと、そこには無数の針が背後からカシスを狙っている。
「俺を前にして振りむいたのはまずかったな」
 即座にバルビエルを向きなおすカシスだが、
 一瞬早くバルビエルの蹴りが腹部を直撃した。
 思った以上にその一撃は重く、彼女の動きを止める。
「残念だが手数と運で、俺には勝てねえよ」
「――――いいえ、ここまで貴方に近づけた彼女の勝利ですよ」
 突然の言葉と共に、バルビエルは背中を深く斬りつけられた。
 完全に予想外だったらしく、大きく目を見開いて背後を振りむく。
 そこには鏡の刃を具現した黒澤の姿があった。
「ば、うそ・・・だろ・・・?」
「鏡の迷彩を纏い、カシス君とともに行動していました。
 流石に一人で貴方に近づけばバレますが、
 カシス君が貴方の注意を逸らしてくれましたからね」
 バルビエルの唇が震え、堪え切れずに血がぽたぽたと零れる。
 予想外の出来事に、倒れこんだカシスも驚かずにはいられなかった。
「くっ・・・私を囮にするなんて、最低野郎なのっ・・・」
「・・・君に一つ教えてあげましょう。遠隔操作、遠距離攻撃において
 最も重要なのは目線と気迫を悟られないことです。
 君のように、目で動きを悟られるようでは・・・
 まあ向いてないと言われても仕方ありませんね」
「うぐっ・・・」
 アドバイスが的確なだけに、カシスはぐうの音も出ない。
 悔しそうな顔で黒澤を睨みつけるしかなかった。
「さて、これで下の方も片付くでしょう。
 追撃の手が来る前に、さっさとここを離れなくては」

04月07日(火)  PM22:35
アルカデイア・辺境・クローバー砂漠脇の森

 カシスとバルビエルの闘いに決着がついた直後。
 サマエルは援護射撃が来ないことに気づき、逡巡して沈黙する。
「バルビエル・・・やられたのか」
 凪たちを見据えたまま、サマエルは即座に状況を把握した。
 投げやりな仕草で、彼はエーヴィゲ・ドレウングを地面に振りおろす。
 それを見てリヴィーアサンは言った。
「どうやら、私たちの勝ちみたいね」
「・・・チッ。一人じゃ流石に厳しいか・・・」
「逃げる気?」
「当然。機を逃した奴が、下手を打ち続ければ行きつくのは死だ。
 それに、バルビエルは運のいい奴だ。死んではいねえだろうしな」
 逃がすと思うのか、とリヴィーアサンは口にしようとした。
 その前に、サマエルがある方向に人差し指を伸ばす。
 リヴィーアサンとラファエルは、その意味するところにすぐ気付いた。
 彼が指し示していたのは、エウロパ宮殿の方角。
 正確には、追手であるザドキエルら三人がいるであろう方向だ。
 距離までは解らないが、のんびりしていられないのは確実と言える。
「どうだ? 俺を嬲り殺してる時間はなさそうだろ?」
「・・・新手が来るまで時間稼ぎとか、そういうのは考えてないのね」
「当然! そんなことしても俺の手柄にならねえ」
 互いの利害が一致。それがわかった時点で、会話は終了した。
 リヴィーアサンはカシスたちを大声で呼びつける。
 同時にサマエルが、素早い動作で森の中へと消えていく。
 凪はそれを見ていたが、すぐに彼の視界からサマエルの姿は消えた。
 数分後、黒澤と傷だらけのカシスがやってくる。
 凪たちは全員が集合した時点で、これからのことを考える必要があった。
「ここで迎え撃つか、或いは距離を保ったまま宮殿を目指すか。
 私としてはどちらも中々に厳しい選択と思いますが」
 黒澤の言葉にリヴィーアサンも考え込むそぶりを見せる。
 迎え撃てば有利ではあるが、更なる追手が来ないとも限らない。
 追われた状態で宮殿を目指せば、宮殿で挟みうちの危険性がある。
 この先がクローバー砂漠であるということも問題だ。
 砂漠では隠れる場所もそれほどなく、
 下手をすれば空から目視で見つかるかもしれない。
 そんな考えに皆がとらわれていると、不意に凪が口を開いた。
「進もう。私たちは、一刻も早くイヴを助けなきゃいけないんだ。
 新手を迎え撃つより先へ進もう」
 それを聞いたリヴィーアサンは、逡巡した後に頷く。
「そうね・・・今は時間が惜しい。あの子に何かあってからじゃ遅いわ」
 リヴィーアサンがそう言った後、カシスは黙ってうなずいた。
 すぐ後に、ラファエルも凪たちの意見に同調する。
「うん。イヴの刑が執行されるまでに、エウロパ宮殿に行かなきゃ」
 先へ進もうという空気の中、黒澤はそれに苦言を呈した。
「しかし、状況としては迎撃が得策。先へ進むのなら、策が必要です。
 でなければ、我々は危険へと足を踏み入れるだけになります。
 時間が惜しいのは解りますが、無策では逆に遠回りをしますよ?」
 彼の一言は至極当然。現状で無策の彼らが敵をやり過ごし先へ進むには、
 敵をやり過ごすための策が必要不可欠だ。
 凪にそういった策の持ち合わせはない。
 先ほどの言葉は勢いで出たもので、具体策があったわけではなかった。
 すると、不意にカシスが思いついたという顔で手を挙げる。
「さっきこの眼鏡野郎が、鏡の迷彩とかいう便利なものを具現してたの。
 砂漠ならこれって凄く有効な隠れ蓑になると思うの」
 黒澤は少し考えるそぶりを見せて、わずかばかり笑みをこぼした。
「ふむ。あれは疲れるのですが、カシス君の頼みなら仕方ありませんね」
 そんな挑発の言葉に、カシスはぴきぴきと苛立ちを顔に表している。
 何でもない顔でリヴィーアサンはそれを見ているが、
 凪はそういうわけにもいかずカシスをなだめることにした。
「そ、それじゃあそうしよう。さあ、いこうカシス」
「ふんっ。言われなくても解ってるの。私についてくるの、凪」
 大きな歩調でカシスは砂漠の方へと歩き出す。
 身体は傷だらけだったが、誰かの手を借りるつもりはないようだった。
 それにつられて、凪も後を歩いていく。
 二人の様子を見て、にこやかに笑いながらラファエルも歩きだした。
 黒澤とリヴィーアサンは、最後方からゆっくりと後をついていく。
「・・・さて、アシュタロス。いざとなれば、私たち二人で食い止めるわよ」
 それは、彼女が最初から考えていた具体策の一つだった。
 ただでさえ少ない戦力を分断するのは危険ともいえるが、
 追手がいるとなれば話は別となる。
 一方が追手を食い止めている間に、一方がイヴを助け出す。
 二手に分かれることでリスクを分担することも可能だ。
「ほう・・・終末の獣ともあろう方が、私を頼りにされますか」
 先ほどのカシスに対するのと同じ調子で、黒澤はそう言葉を返す。
 リヴィーアサンは冷静な表情で口を開いた。
「流石に一人で相手にするには厄介だけど、凪とカシスはまだ危なっかしい。
 ラファエルは先導役として必要。となると貴方しかいないわね」
「確かに。まあ、なるべくそんな機会がないように祈りましょう」
「そうね・・・」
 問題は二手に分かれることでの戦力半減。それが二人の懸念だ。
 特に、先行する凪たち三人のリスクが高くなる。
 大多数を相手にすれば三人も五人も大差はないが、
 例えばミカエルのような強者一人と闘う場合は別だ。
(どちらにせよ、敵陣の中にルージュはいる・・・。
 全く・・・死中に活とはよく言ったものだわ)



 森の奥。血の跡が点々と続いている。
 バルビエルは樹に寄りかかりながら、自分で傷口を手当てしていた。
「ついてる。俺って実についてるよな・・・。
 普通なら死んでるぜ、この怪我」
 吐息は荒く傷口からの出血も酷いが、致命傷ではない。
 幸運なのは、黒澤がすぐに新手の気配を感じ取ったことだ。
 急いでいなければ、確実にとどめを刺されていただろう。
 そこへサマエルが急ぎ足で現れた。
「よう、無様に負けやがって・・・てめぇ、油断したな」
「へ、へへ・・・一人隠れてやがったんだよ。ありゃ汚い手だぜ」
「チッ・・・これで、俺たちの復帰が少し遅くなるな」
 サマエルは、ほんの少しも諦めるそぶりを見せはしない。
 元の地位に返り咲けるという、確信のようなものがあるからだ。
 現状を見極めた上で、彼は十分それが可能だと考えている。
「で、どうするんだよサマエル。奴らに追いつくのは難しいぜ」
「ああ・・・しばらくは、ルシードどもが死なないように祈るしかねぇ。
 俺たちが追いつくまで、死なないように・・・な」

Chapter136へ続く