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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter141
「我が心、血の海に泳ぐ」
 


04月10日(金)  AM05:38
アルカデイア・エウロパ宮殿・二階・会議室

 凪たちがイヴのもとへたどり着いた時点から、さかのぼること数分前。
 ジョフとシウダードが、ミカエルに呼ばれ二階の会議室に来ていた。
 三人で会議室を使うというのは大げさかもしれない。
 室内にやってきたジョフが、それについてミカエルに尋ねた。
「大天使長室で話せないような案件なのか?」
「ええ、まあ後が面倒なんでね」
 誤魔化すような返答に、ジョフは納得がいかない顔をする。
 用件を聞いてから文句を言うつもりで、
 とりあえず彼は近くの椅子に腰かけた。
 同じくシウダードも椅子に座り、ミカエルの様子を窺う。
「ラファエルが宮殿近くまで来ているという現状を把握していて、
 話があるというのなら・・・余程重大なことなのね?」
「その件なら、先ほどウリエルから無線で報告がありましたよ。
 かなり手傷を負わせたらしいが、あと一歩のところで逃げられたとか」
 会議室の机には、無線機が無造作に置かれていた。
 それを見てジョフは、直前に連絡が来たのだと察する。
「・・・そうか。追撃を怠るなよ」
「もちろん」
 一言そういうと、ミカエルは壁際に歩いていき窓から外を覗いた。
 外は多くの天使たちが、厳しい警備を続けている。
 その様子を窓から眺めながら、彼はちらりと二人を見た。
「ディムエル逃亡の件。それにルシエ逃亡時の情報漏洩の件。
 どちらも、手引をした裏切り者の天使がいるのは明白だ。
 俺の部下が調べを進めていったところ、面白いことが解りましたよ」
「・・・特定できた、ということか?」
「ええ」
(本当はそいつを操ってる黒幕まで引きずりだしたかったがな・・・)
 視線を落として、ミカエルは少しだけ残念そうな顔をする。
 黒幕とは、言うに及ばずではあるがアザゼルのことだ。
 彼へとつながる証拠は、一つとして残ってはいない。
 全てを見通すとさえいわれるアザゼルの前に、
 流石のミカエルも調査を断念せざるを得なかった。
 しかし、彼の操り人形を捕まえるチャンスはある。
「この犯行は誰でも行うことができました。対応の早さを除けばね。
 そう、ルシエを倒すためにラファエルたちが現象世界へ向かったとき、
 悪魔側の対応があまりにも的確かつ迅速すぎた。
 この時点で、裏切り者は上層部・・・それも老賢者の中にいると解りました」
「・・・ミカエル。その言葉、撤回はできんぞ」
「わかってますよ」
 老賢者を糾弾することの重みを、ジョフはあえて示唆する。
 もし間違いであった場合、それは大きな罪となりかねないものだ。
 彼らに裏切り者、引いては堕天使の烙印を押すには大きな覚悟がいる。
「よし、聞こう」
「シウダード、貴方もよろしいですね」
「ええ」
 二人から承諾を得て、ミカエルは更に話を進めた。
「時にジョフ、貴方はかつて大量に堕天使を裁いたことがありましたね」
「・・・前哨戦争裁判か。それがどうした」
 前哨戦争裁判。名の通り、それは前哨戦争後に行われた裁判だ。
 戦争の際に捕まえた悪魔たちをまとめて裁くための措置であり、
 智天使長であるジョフは、当時彼ら全員を例外なく死刑にしている。
「調べてみたら、発端はそれでしたよ」
「あれが・・・? 一体、どういうことだ」
 不思議そうな顔をしてジョフは腕を組んだ。
 彼が疑問を浮かべるのも当然で、裁判の内容は公正であり、
 誰一人文句を言うものすらいなかったとジョフは記憶している。
「どういうことかは、直接本人に聞いてみたらどうです?」
「なに?」
 ジョフが怪訝な顔をするのを意に介さず、ミカエルはにやりと笑った。
 足を組みかえ、彼はジョフから視線を外す。
「貴方から話してくれるのが手っ取り早いんですがね。
 そうでしょう――――シウダード」

04月09日(木)  PM23:47
アルカデイア・辺境・クローバー砂漠

 さかのぼること数時間前。
 クローバー砂漠でレミエルの攻撃を受けた後、
 リヴィーアサンは必死の思いで空から見えないように姿を隠す。
 砂をかぶり、身体を埋めることでレミエルの目を逃れようとしていた。
 状況は彼女にとって非常に悪い方向へと向かっている。
 感覚を失っているのに加え、爆発で足を負傷していた。
 砂からバイ菌が入るかもしれないが、それを気にしている余裕はない。
(このままじゃ・・・すぐに位置を把握されて殺されるのは目に見えている)
 レミエルは瞳を具現して、リヴィーアサンを探しているようだった。
 辺りをまとめて爆破されれば一巻の終わりだったのだが、
 彼女がまともに歩くことさえできないのをレミエルは知らない。
 これは不幸中の幸いといえた。
 無駄な爆発を起こさずに、彼はリヴィーアサンの姿を探している。
 相手は空中から動く気配はない。そこでリヴィーアサンは考えた。
(もしかすると、爆発する瞳のストックが切れかかっている?
 だから、消費を抑えて私の位置を特定することにしたのかもしれない。
 うまくストックを使い切らせて、黒い炎で燃やせる距離まで近づければ)
 レミエルが残り幾つのレスタティーバをストックしているか。
 辺り構わず爆破させないということは、
 かなり数が減っている公算が大きい。
 とはいっても、正確な数を知るにはレミエルに接近する必要があった。
 危険は伴うが他の考えは浮かんでこない。
(今日一日で三連戦・・・流石にイメージの具現化をやりすぎたわね。
 脳を使いすぎたのか、頭がボーっとしてきたわ)
 思考にもやがかかったような感覚を覚えていた。
 疲れは厄介だが、時間は彼女にプラスの変化を与える。
 少しずつ視覚が正確な風景を写し始めたのだ。
 アニエルに奪われた感覚が戻り始めている。
 このまま待っていれば、身体が動けるようになるかもしれなかった。
 だが、レミエルはリヴィーアサンにそんな余裕を与えるつもりはない。
「仕方ない。レスタティーバであぶり出すとしよう」
 上空で静止したまま、レミエルはレスタティーバを周囲に回転させた。
 それは回転を保ちながら、辺りの砂漠へと急降下していく。
 レスタティーバが急降下した場所の一つは、
 リヴィーアサンが隠れている位置からすぐ近くだった。
(まずい、この距離だと巻き込まれる・・・!)
 身体を起こすと、まだ少し上下感覚がおかしいのも気にせず走りだす。
 即座にそれをレミエルが見とがめた。
「ネズミ捕りにかかったか・・・」

04月10日(金)  AM05:43
アルカデイア・エウロパ宮殿・地下一階・羽切刑室

 宮殿地下の中でも、特に陰惨な雰囲気が漂う羽切刑室。
 そこでようやく、凪たちとイヴは数日ぶりの再会を果たした。
 まだ敵が目の前にいる状況で楽観はできないのだが、
 イヴの無事な姿を見て凪とカシスは思わず安堵する。
「凪、カシス・・・」
 驚いたような顔つきで、イヴは二人の姿を見つめていた。
 何故来たのか。そんなことは言えるはずもなかった。
 こみあげてくるものを抑えるのに必死で、上手く喋ることが出来ない。
 苦しいほどに、ただ単純に、イヴは二人の姿に安らぎを覚えた。
 嬉しさのあまり、続く言葉も、強がりを言うことさえも忘れていた。
「イヴ、今助けるから・・・!」
 凪はそう言って天使たちを睨みつけるが、
 彼らの顔を見て凪とカシスは軽い驚きの表情を見せる。
「あんたたち、どうしてここに・・・」
 天使たちのうち、見知った顔が二人。バルビエルとサマエルだ。
 彼らは凪たちよりも早く、この場所へとたどり着いていた。
 困惑する凪とカシスの顔を、サマエルが余裕の笑みを浮かべ見ている。
「お前らがのんびりここに向かってる間、
 俺らはちょっと遠回りして帰ってきただけの話だ」
 サマエルたちはそれほど急いで戻ってきたわけではなかった。
 それでも、色々な理由で足止めを余儀なくされた凪たちより、
 早くここへやってこれたのは至極当然と言える。
 傷は完全に回復していないらしく、バルビエルは背中に気を配っていた。
 片手で背中を庇いながら、彼はサングラスをゆっくりと外す。
「ザドキエルたちに苦戦でもしたのか? 随分遅かったじゃねえか。
 ま、そんな話より・・・俺たちが何でここにいるか解ってるんだよなァ?」
 そう言って、バルビエルは処刑人の天使に何事かを呟き、
 拘束したままのイヴを処置用の椅子に座らせた。
 羽切用の鋭い刃が、彼女の背中で鈍い光を放つ。
「止めろ! イヴに何をする気なの!」
「なにィ? 何って決まってんだろ・・・羽根を斬るんだよ!
 他に何かリクエストでもあるのかあ?」
「この、やろぉ・・・!」
 バルビエルの言葉に、凪は憤り飛びかかろうとする。
 それをカシスが隣から手を伸ばして制した。
 はっと我に返り、凪は怒りを抑えようと拳を握り締める。
 すると、彼を止めようとしたかに見えたカシスが、
 手をそのまま頭上に挙げて水の刃を具現した。
「ルージュを傷つける奴は・・・ぶっ殺す!」
「ちょっと・・・カシス!」
 怒り心頭に来ているのは、カシスも同じだったらしい。
 具現した水の刃を、思いきり振りかぶって投げようとする。
 だが、彼女の身体はサマエルの行動で硬直することになった。
「お前らは馬鹿か? 何で俺たちがわざわざここで待ってたと思う。
 何でわざわざこの堕天使の女を連れて、
 こんなところでお前らを待ってたと思ってるんだ」
 サマエルは羽切刑を執行するための装置に手を触れている。
 装置はイヴが座っている椅子の近くに設置されていて、
 ボタン式で処置を行えるような簡単なものだった。
 つまり彼の意志一つで、イヴの羽根を切り落とすことが可能な状態だ。
 それを見たカシスは攻撃を止め、焦りをまじえた表情で叫ぶ。
「この下衆野郎・・・ルージュに指一本触れたら許さないのっ!」
「やっぱり馬鹿だな。何のためにこうしたと思っている。
 簡単なことだ。お前らを嬲り殺しにできるからだよ」
 ゾッとするような冷たい瞳で、サマエルは凪たちにそう言った。
 まともに闘ったとしても苦戦は間違いないというのに、
 人質を取られた状態では凪たちに勝機などあるはずもない。
 そのことは凪も充分すぎるほど解っていた。
(まずい・・・勢いでここまで来たのはいいけど、これじゃあ・・・)
 考えをめぐらせても、打開策など瞬時に思い浮かぶはずがない。
 室内の様子を調べていればとも考えるが、
 調べたところでどうなるものでもなかった。
 入口は一つ。そして、バルビエルとサマエルに欠片も油断はない。
 最悪の状況で、イヴは表情を崩さず冷静な口調で言った。
「私のことは気にするな。この二人を倒すんだ」
 あくまで大したことではないのだと言うような顔で、彼女はそう言う。
 思わず、それを聞いたバルビエルは声を上げて笑い出した。
「フ・・・ハハハ! 馬鹿かテメェは!
 羽根がなくなったらどうなるか知ってるのか?
 人間と変わらねえ・・・いや、それ以下の存在になるんだぞ」
「知っている」
 短くイヴはそう答える。バルビエルの挑発的な態度に目もくれない。
 その態度を見ると、彼は笑うのを止めてイヴに近づいていった。
 力任せに彼女の髪を掴み、バルビエルは彼女を睨みつける。
「じゃあ、そのクソみてえな黒い翼がいらねえってことかあ?」
「この黒い翼は・・・ずっと私の重荷だったさ。
 天使であることに執着していた私にとって、捨てられない重荷だった。
 でも、仲間の重荷であってはならない。
 私にとって、最も大切なことは・・・翼を守ることじゃない」
「・・・イカれてやがるな」
 バルビエルは彼女の言葉に呆れたのか、掴んだ髪から手を放す。
 彼の代わりに、黙していたサマエルが口を開いた。
「・・・馬鹿にもほどがあるぜ。力も天使としての証も失って、
 それでお前に何の価値がある? ただでさえ堕天使の烙印を持つお前に」
「価値なら・・・仲間や、家族が与えてくれる。
 誰かが必要としてくれるなら、私は・・・」
(こいつ・・・!)
 サマエルはイヴの顔つき、目つきや話ぶりを見て気が付いた。
 羽切はもとより、彼女はその先にある死さえも覚悟している。
 強がりで言っている部分がないわけではない。
 死への恐怖が消えたわけでもない。
 それらを含みながらも、彼女の意志は揺らいでいないのだ。
 飲み込まれそうになるほど、今のイヴは静かな迫力を持っていた。
「さあ、やれるものならばやってみせるがいい。
 例え羽がなくなろうと、殺されようと・・・
 お前たちのような脆弱な輩に私が屈すると思うな!」
 彼女の覚悟と気迫が、サマエルとバルビエルに隙を作り出す。
 イヴに意識を向けていた二人は、凪たちの存在を瞬間的に忘れていた。
 明らかな好機。それを逃すわけにはいかない。
 凪は即座にバルビエルへ向かって飛びかかった。
「ぐっ・・・!」
 一瞬反応が遅れた彼は、凪の右拳を顔に受けて吹き飛ばされる。
 すぐさまサマエルがそれに対応し、凪へ殴りかかろうとした。
 彼の意識が凪へと向かった瞬間。
 いつの間にか、カシスがイヴのもとへ走っていた。
 凪に気を取られたせいで、サマエルはその動きを見逃してしまう。
 全く示し合わせることもなく動きだした凪とカシスだったが、
 思った以上に二人は上手く連携して動くことができた。
(やったの・・・これで、ルージュを・・・)
 そこでふと、カシスはイヴの傍にいる天使の存在に気づく。
 彼は羽切を行う装置の傍にじっと立っていた。
「あんた・・・何してるの!」
「ぼ、僕も仕事なんで・・・文句言われても困るんですよっ」
 そう言うと彼は、装置のボタンへと手を伸ばす。
 

Chapter142へ続く