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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter143
「当為的覚醒」
 


04月09日(木)  PM23:56
アルカデイア・辺境・クローバー砂漠

 砂漠の何処かで爆発音が木霊した。
 爆発音の大きさが、その凄まじい威力を物語っている。
 かろうじてその直撃を避けたリヴィーアサンだが、
 衝撃を受けて骨や内臓にダメージを負っていた。
 これ以上の負荷を受ければ、紅音の身体が持たないかもしれない。
 現時点でも、痛みがリンクしていたら激痛で意識を失っているほどだ。
 ここまでリヴィーアサンが窮地に追い込まれるのは珍しい。
 吹き飛ばされた身体を起こして、彼女は辺りの様子をうかがった。
 粉塵でこちらを見失ったのか、レミエルの姿は見えない。
 即座に砂で身体を覆うと、リヴィーアサンは身体を休めながら策を練る。
(さて、このままいぶり出されて死ぬか、飛び出して起死回生を狙うか。
 どちらにしても分の悪い賭け。出来れば逃げるのが一番いいけど・・・)
 恐らく敵は攻撃の手ごたえを感じているはずだ。
 易々とこの周辺から逃がしてくれるとは思えない。
 万全ならまだしも、まだ身体がふらつく現状では尚更だ。
 そう考えると、一番可能性のある選択が玉砕覚悟の特攻。
 無策で飛び込めば一撃のもとに爆死することは必定だろう。
 彼女がイメージできる最も長距離の攻撃は黒い竜巻。
 上空からこちらを狙うレミエルに対して、唯一有効な攻撃手段だ。
 他の攻撃は、上空へ放つにはイメージが湧きにくく具象化が難しい。
 普段なら或いは可能かもしれないが、
 消耗している今は確実なイメージが必要だった。
(攻撃はなんとかなるかもしれない。でも、それだけじゃ死ぬわね。
 あの爆発から身体を守るほどのイメージを、同時には具現化出来ない)
 竜巻をイメージすれば、身を守り切れない。
 身を守るためのイメージに集中すれば、攻撃がおざなりになる。
 八方ふさがりというべきか、或いは二律背反というべきか。
 片方を選べば死は免れないが、もう片方は死を先延ばしにするだけだ。
 先延ばしといっても、防御に徹して助かる保証があるわけではない。
 死ななくてすむ可能性が少しある、という程度にすぎなかった。
 手足が千切れ飛ぶような結果に終わる可能性も充分ある。
 そのことは、リヴィーアサン自身よく解っていることだった。
 疲れのせいかぼんやりしてきた頭で、彼女は不思議なほど冷静に考える。
(私は・・・ここで終わるのかもしれない)
 他の選択肢が何も浮かばない以上、辿り着くのはその一点のみ。
 楽観的な憶測が介在する余地はなかった。
 それにも関わらず、リヴィーアサンはやけに落ち着いている。
 死を覚悟した者の心情としては異質なものだ。
(不思議だ・・・私はどうして冷静でいられるのだろう。
 本当ならもっと後悔があるはず。どうしたというの)
 まだ彼女にはなすべきことが残っている。
 これから死ぬかもしれないというのに、後悔の念はどこにもなかった。
 ふいに、リヴィーアサンは自分を呼びかける紅音の声に気づく。
「リヴィーアサンが負けるはずないよ。だって、貴方は終末の獣。
 終末が来る前にやられちゃうのはおかしいもん。
 それに・・・凪ちゃんと約束したよね、絶対また会うって」
 紅音は様々な感情を抱きながら、強くその約束を信じていた。
 不安を抱えているのに、彼女は決してそれに押されることがない。
 ありのままを受け止めた上で、何かを信じることができるからだ。
(簡単に言うわね。でも現状を打破する手立てがなければ、
 希望を持とうが絶望しようが結果なんて同じなのよ)
「う〜ん、わたしはね、希望を持って考えたら
 きっといい考えが浮かぶかもって思うよ」
(ただの楽観じゃない。そんなものは)
「そ、そうかな。わたしもがんばるから、二人でがんばろうよっ」
(あんたは何もしてないでしょうが・・・少しは手伝ってほし、い・・・わ)
 そう紅音に語りかけながら、リヴィーアサンはあることを思いつく。
 最も生き残る可能性がある選択を。それは単純な答えだ。
 故に彼女は見落としていたのかもしれない。
 不可能であれば結局何の意味もないのだが、
 リヴィーアサンはその選択にわずかな可能性を感じた。
(どう思う、紅音。命を賭けてみる?)
「うん。また凪ちゃんに会いたいから、がんばる」
 シンプルな返事だ、リヴィーアサンは紅音の返答にそんな感想を抱く。
 単純だからこそ、信じることのために最大限に力を発揮できる。
 考えすぎないこともまた必要なのだと、リヴィーアサンは考えた。
「行くわよ紅音・・・二人で、奴を倒す!」

04月10日(金)  AM06:04
アルカデイア・エウロパ宮殿・地下一階・羽切刑室

 羽切刑室はある程度の大きさはあっても、闘うための場所ではない。
 二対二の闘いともなれば、窮屈さを感じないわけはなかった。
 こういった場所での戦いに慣れていないだけでなく、
 イヴという守るべき者を背後に感じながらの闘いという状況。
 それらが前衛である凪に、余計な緊張感を与えていた。
 必要以上の緊張は身体の自由を奪う。
 先制攻撃をバルビエルに防がれたおかげで、
 それはより深刻化して凪にのしかかった。
 仕掛けるタイミングを失い、相手の出方を待ちすぎてしまう。
 後手後手に回れば、不利なのは凪たちのほうだというのに。
 そういった状況を知ってか知らずか、サマエルは鉄球を振り回し始める。
「バルビエル、サポートは任せたぞ」
「任されたぜ。ま、今度こそマジで闘えよ」
 彼らにプレッシャーはなかった。
 堕天使疑惑を払拭するためとはいっても、背負うものがないのだ。
 そのつもりがなくとも、サマエルは性格のためか常に孤独。
 多くの天使が彼を拒んでは、また彼もそんな天使たちを拒んできた。
 一見サマエルより社交的に見えるバルビエルも、
 相手に危険な性格を感じ取られるのかやはり一人だった。
 二人は慣れ合いの為に行動を共にしているわけではない。
 互いが互いに利用価値を見出しているから一緒にいるのだ。
 戦闘でのコンビネーションもその一つと言える。
 情も、絆も、何も背負わないからこそ、
 彼らはフラットな精神状態を保つことができた。
 サマエルは上半身をリラックスさせたままで、鉄球を激しく回転させる。
 回転の間を縫って入り込もうと、凪はその動きを凝視した。
 だがすぐに、凪は鉄球が自由自在に動きを変えることを思い出す。
 ありえない軌道だろうと、鉄球は具現された存在。
 エーヴィゲ・ドレーウングは自在に軌道を変えることができる。
 二の足を踏む彼にカシスが声をかけた。
「凪、上手くやろうと思わなくていいの。がんばればいいの」
「え・・・?」
「前にリヴィ様が言ってたの。全て上手くいくかなんて解らないから、
 やれるだけやるって考えて足を踏み出すことが大事だって」
 言われてみればそれは至極当然の言葉。
 そんな当たり前のことを、凪はすっかり失念していた。
 過度の緊張と焦りが筋肉を硬化させ、頭の回転を鈍らせていたのだろう。
 カシスのおかげで、凪は意識して身体をリラックスさせることができた。
 両足を広く構え、へそより少し下にある丹田に力を込めると、
 上半身をリラックスさせて腰を落とす。
 凪の母につき従う杵築が、かつて凪に教えた構えだ。
(冷静に相手の目を見る・・・杵築さんが、昔そんなことを言ってたな)
 ゆっくりと息を吐くと、凪はサマエルの目をじっと見る。
 殺気のこもった瞳だがまだ鉄球を投げてくる気配はなかった。
 彼の背後にいるバルビエルも、すぐ攻撃してくるようには見えない。
 実に静かな動きで、凪はサマエルへと走り出した。
 あまりの華麗な体重移動に、サマエルたちは反応が一瞬遅れる。
「こいつ・・・!」
 サマエルはエーヴィゲ・ドレーウングの軌道を変えて凪に投げつけた。
 鉄球の軌道を一瞬早く読んで、凪はそれを難なくかわしてみせる。
 攻撃を読めたのは、サマエルの目を見続けていたからだ。
 軌道を変える瞬間の殺気を凪は見逃さなかった。
 それに加えて、体重移動のスムーズさが回避を容易にしている。
 持っていた経験と知識が、凪の中で実を結び始めていた。
 そのまま凪はサマエルの懐へ飛び込み、拳を叩きこもうとする。
 だが踏み込んだ瞬間に、凪は足に激痛を感じて思わず退いた。
「シューゲイザー・・・俺のサポートを忘れてもらっちゃ困るぜ」
 いつの間にか踏み込んだ場所の地面から針が突き出ている。
 バルビエルが得意とする地雷のような針のイメージだ。
 動けないほどの傷ではないが、出鼻を挫かれたのは痛い。
「さあて、俺もマジになるか」
 そう言うとサマエルは、鉄球にイメージを送り形を変化させた。
 彼が握っていた鎖が消え去って、鉄球を繋ぐものがなくなる。
 縛るものを失った鉄球は、凄まじい勢いで辺りを跳ね始めた。



「アイヒツヴェルテ。それがコイツの名前だ。一応説明しておいてやる。
 コイツはまず辺り構わず跳ね回り、パワーを充填していく」
 じきに鉄球は動きを止めて、宙に浮いたまま制止する。
「充填が終わったら動きが止まる。そして――――」
 鉄球は突然凄まじい速度で凪に襲いかかった。
 一撃はかわしたものの、軌道を変えてもう一度鉄球が飛んでくる。
 向き直って凪は鉄球を受け止めようとした。
「標的を潰すまで回転を続ける。それがアイヒツヴェルテだ。
 解ったら諦めてさっさと潰れちまえ」
 勢いを止められず、凪は鉄球に吹き飛ばされてしまう。
 反射的にカシスは水を具現してサポートをしようとするが、
 落ち着いている彼の様子を見ると彼女はそれを止めた。
(思ったより凪がやれそうなの・・・これなら、私は攻撃に回れる)
 まずはサマエルに狙いを定め、カシスは水をイメージする。
 鉄球のコントロールに集中しているらしく、彼は隙だらけだった。
 当然、そこで障害となるのが補助役のバルビエルだ。
 かつてカシスはリベサル、マルコシアスと二対二で闘った際に、
 格下の自分が足を引っ張って負けてしまったことがある。
 今回も相手は格上で、おまけに一度敗北しかけたという事実があった。
 それらの事実は、カシスにとって苦い記憶に他ならない。
(もう二度と負けたりしない・・・あんな悔しい思いは沢山)
 そう思いながらも、努めてカシスは自らを落ち着かせた。
 意識して冷静さを保とうと、深く息を吐き出す。
 息を吸うのと同時に彼女は水の矢を具現した。
 弓は無いが、矢を引き絞るポーズを取って溜めをイメージする。
 バルビエルはそれに先んじて円盤を回していた。
「また緑じゃ意味がねえ。次は赤が来い・・・さあ来い!」
 円盤は少ししてから動きを止めて、青色に輝き出す。
 カシスが矢を放つと、円盤は回転しながら凪の方へと向かっていった。
「青か・・・仕方ねえな。駆逐してこい、蛮勇なるシニネン」
 二つの攻撃が凪へと向かっていく瞬間、カシスは考える。
 凪を守るために矢を円盤へと軌道修正させるべきか、否か。
 円盤を見る凪の瞳は慌ててはいない。それを見て答えはすぐに出た。
 軌道を変えず、矢はバルビエルへと一直線に飛んでいく。
 彼はそれをかわしきることができず、矢に肩を貫かれた。
 思惑が外れてバルビエルは少しイラっとした顔つきをする。
「ちっ、そう来たか・・・だが、相方はどうなるかな」
 鉄球と円盤が同時に凪のもとへと迫っていた。
 ゆるやかな動きで、まず凪は鉄球の一撃を回避する。
 続いて円盤が回転しながら彼に向って無数の針を飛ばした。
 全てをかわすのが難しいと判断した凪は、
 大きな傷を負わないよう注意しながら鉄球に意識を向ける。
 針を回避するのに手を地面について側転する。
 円盤自体の体当たりも、上半身をそらしてかわした。
 軌道を変えた鉄球が向かってくるころには、
 既に凪は体勢を立て直している。
 最小限の反動でかわしているため、次の動作がすぐ行えるのだ。
 これにはサマエルとバルビエルも驚かされる。
 特にサマエルは、前回とまるで動きが違うことに違和感さえ覚えた。
 当の凪も落ち着き払った顔をしながら、自分の動きに驚きを感じている。
(落ち着いてきちんと構えるだけで、こんなにも違うなんて)
 いきなり彼の実力が上昇したわけではない。
 元々持っていたものを、意識して使ったというだけのことだ。
 基礎の出来ている者がイメージでそれを膨らませることによって、
 その効果が大きくはっきりと感じられているだけにすぎない。
「調子に乗るなよ、ルシード・・・微温湯の卵みてえなテメエらに、
 この俺が負けるはずがねえだろうが!」
 サマエルはそう叫ぶと、凪に向かって飛びかかった。
 鉄球を操りながら自らも攻撃するという荒業だ。
 凪は鉄球をかわすことは出来たが、サマエルの拳を回避しきれない。
「ぐっ・・・」
 彼は丁寧に顔面へのフェイントを入れ、凪の腹へと拳を叩きこんだ。
 更に軌道修正した鉄球が再び凪のもとへ襲いかかる。
「トドメを刺せ、アイヒツヴェルテ――――!」
 このとき、凪は攻撃をかわすことを考えていなかった。
 それどころかサマエルを倒すための攻撃をイメージしていた。
(光と色の記憶が湧きあがってくる・・・エメラルド・グリーンや、
 ヴァーミリオンのときと同じ感覚だ)
 

Chapter144へ続く