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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter146
「決別の時」
 


04月10日(金)  AM06:05
アルカデイア・エウロパ宮殿付近

 この世界に、突然という事象はない。
 老賢者ラツィエルの言葉だ。
 即ち、全ては積み重ねがあり、必然的なのだという意味がある。
 宮殿に戻る途中、ふいにウリエルはその言葉を思い出す。
 彼の後ろにはラグエルも歩いていた。
 歩くだけで精一杯の彼女に肩を貸し、ウリエルはその隣を歩く。
 彼らはラファエルの抹殺に失敗して、帰還する途中だった。
 ウリエルとラファエルの攻防によって辺りは酷い有様になっている。
 一帯に避難勧告を出していたとはいえ、建物は幾つか倒壊していた。
(私のアークティカ・ソナタを凌いだうえ、その粉塵に紛れて逃げるとはな)
 思った以上にラファエルが余力を残していたことに驚くウリエル。
 とはいっても、流石に現在は動くのもやっとであるはずだと推測する。
 先程ウリエルは無線でその旨を報告し、追撃を要請していた。
 かつての友とはいえ、ウリエルは立場上彼を容赦するわけにはいかない。
 既に戦闘からは幾らかの時間が流れていた。
 もうじきエウロパ宮殿というところで、ウリエルの無線に連絡が入る。
 小型の無線を耳に当てると、相手からの言葉を待つ。
「・・・な、に? お前は、何を言っているんだ」
 連絡を聞いて、ウリエルの表情が驚きに変わった。
 それを見て気になったラグエルは、何があったのかとたずねる。
 間を置いて、彼はラファエルが老賢者二人、
 ジョフとシウダードを殺害したと答えた。
「馬鹿な! だって、彼は・・・あの怪我で、そんな芸当が」
 恐らく今のラグエルと同じか、それ以上の怪我を負っている。
 そんなラファエルが、老賢者二人を殺す力が残っているだろうか。
 ラグエルは、自分の状態と比較してそれは不可能だと考えた。
「それだけではない。シウダード様、が・・・堕天使と認定された。
 彼女は・・・やはりルシエに情報を提供していた、そうだ」
「そう、ですか」
 覚悟はしていたが、ウリエルは間違いであって欲しいと願っていた。
 尊敬するシウダードが堕天使など、信じたくはなかった。
 動揺するウリエルの隣で、ラグエルは別のことに動揺する。
 シウダードの件はミカエルが動いたのだと彼女は確信できた。
 だからこそ、その場に自分がいないことにラグエルは納得がいかない。
 何故自分に隣で補佐させてくれなかったのだろうか。
 そんな思いがラグエルの喉元にせりあがり、
 慌ててそうではないのだと自制した。
(私にはラファエルを捕縛するという重大な任務がある。
 ミカエル様は、私を信じて・・・任せてくれたのよ)
 決して自分が軽く見られたのではないと考えるが、
 逆にそう仮定すると、ラファエルを逃した事実は大きかった。
 加えて、未確認ながらジョフ達を彼が殺害したという情報がある。
 事実ならばなんたる失態か。
 血の気が引いていく気分のラグエルに、ウリエルが顔を向けず話しかけた。
「ラファエルのことは、何かの間違いだとは思うが・・・。
 一刻も早くミカエルに話を聞く必要があるな」
「同感です。急いでミカエル様のもとへ行きましょう」

04月10日(金)  AM06:42
アルカデイア・エウロパ宮殿・地下二階

 静かながら、圧迫感のある空気。
 地下二階に辿り着いた凪たちは、ケルビエルと対峙していた。
 重苦しい灰色の壁と二つある木製の扉だけが、辺りを構成している。
 気分さえも暗くなりそうな廊下の中央。
 何も言えずに、凪はイヴの方を向いたまま立ち尽くしていた。
「さて、話はもう充分だろう。イヴの未来を心配するのもいいが、
 今現在俺に捕まることも心配しなきゃいけないぜ」
「話じゃ解決・・・できないんだね」
 穏やかに会話しながらも、ケルビエルは恐ろしい気迫を纏っている。
 諦めたように、凪はそう言って彼の方を振り向く。
「そんなもんは糞くらえだ。俺はお前たちを捕まえる義務がある。
 羽切は済んだと言っても、逃がす理由はないからな」
 ケルビエルはどっしりと構えると、殺気のこもった瞳で凪たちを睨んだ。
 直前まで会話をしていたとは思えないほど、彼の表情が険しくなる。
 その切り替えの早さも、また彼の強さの一つと言えるだろう。
「行くぜ」
 全身の筋肉が怒張したかと思うと、彼は思いきり腕をフルスイングした。
 身体を巻き込むような凄まじい動きで、
 周囲の風さえもが彼の拳に切り裂かれていく。
 距離があったため、凪はそれを注意して見ているだけだった。
 次の瞬間、凪の身体に鈍い痛みが走って倒れそうになる。
「か、はっ・・・」
「無防備だな。届かないとでも思ったかい、坊や」
 それはただの右ストレートを、イメージで強化しただけの攻撃。
 単純ではあるが、ケルビエルはそれを磨きあげて武器にしていた。
 異常なまでの具現強化で、遠くの相手に衝撃を伝えることさえできる。
 イメージによる防御を突き破るほど強力に。
(やっぱり、強い・・・それも、シンプルな強さだ・・・)
 痛みを堪えて凪は体勢を立て直そうとする。
 だが、それを黙って見ているほどケルビエルは優しくない。
「ルシエと闘ったときの報告は聞いてるぜ。ものすげえ光出すんだってな。
 流石に、ルシエを倒した一撃をまともに食らってやる気はないね」
 全速力で凪に向かって走ってくると、そのまま肩を突き出す。
 巨大な塊が飛んでくるような圧迫感のあるタックルに、
 思わず凪は身を守ろうとして両手を前に向けた。
 腕が折れるような衝撃と共に、凪は彼の攻撃を受け止めようとする。
 地面にひびが入って、周囲の壁も崩れそうなほどの衝撃が襲った。
「いいぞ・・・いい手ごたえだ!」
 数秒のこう着。直後に凪は後方へと吹き飛ばされる。
 飛んでいく凪をカシスは身体で受け止めた。
 二人は地面へと倒れるが、すぐに立ち上がってケルビエルのほうを見る。
 彼はそれ以上の追撃はせずに、腕を組みながら凪たちを見ていた。
「こっちも今は気持ちを切り替えないと、やられて全部だめになるの」
「・・・うん。本当に、カシスは頼りになるよ」
「あ、当り前なの」
 褒められて思わずそう答えるカシス。
 彼女には凪とケルビエルの闘いが、俯瞰のような視点で見えていた。
 加えて後方支援という位置のおかげで、冷静に判断することができる。
(もしかして、私ってこの距離の闘いが向いてるかもしれないの)
 カシスは自分に向いた闘い方というものを解りかけた気がした。
 水の矢を構えて、彼女はケルビエルを注意深く見つめる。
 真正面から矢を放ったところで直撃するとは思えなかった。
 そこでカシスはケルビエルの腕に注目する。
 丸太のように太い腕は、前に突き出せばその分死角が増えるはずだ。
 攻撃後を狙うのが最良と踏んで、彼女はケルビエルの動きを見守る。
 すると、背後の階段からコツコツと足音が聞こえてきた。
 現れたのはケルビエルほどではないにしろ、かなり大柄な天使の姿だ。
「ふむ、思ったより時間をかけてるじゃねえか」
「ゾフィエルか。俺はただ楽しみたいだけだよ。
 願わくば、狂いそうなくらいに激しくね」
 ケルビエルはそう言ってにやりと笑みを浮かべる。
 階段を下りきるとゾフィエルは彼へと歩いて近づいていく。
 髭を蓄えた大柄な男が二人揃うと、その威圧感は相当なものだ。
 特にゾフィエルの髭は長くのびていて、仙人のようですらある。
 彼はイヴを見咎めると、不快な顔をして凪たちに言った。
「天使でなくなって清々するかと思ったが・・・やはり存在が不快だな。
 ルシード、お前も物好きなことだ。そんなゴミを大事にして」
「な・・・」
 罵倒の言葉に、凪は言葉が出ないくらいの怒りを覚える。
 同じくカシスも何かが切れた音を耳にした。
 いきなりそんなことを言い出したゾフィエルに対して、
 流石にケルビエルが苦言を呈する。
「おい、無駄に煽るんじゃねえよ」
「遠慮する必要もあるまい。所詮は、廃棄されたようなものだ」
「黙れよ、このクソヒゲ野郎・・・!」
 先に限界を超えたのはやはりカシスだった。
 彼女はあえて悪態をつくことで、幾らか冷静さを取り戻す。
 怒りは胸の奥にしまい込み、頭は冷ややかでなければならない。
 ゾフィエルはそれを聞くとカシスを睨みつけた。
「低級悪魔風情が、この俺に・・・ふざけた口を」
 そう口にしたかと思うと、凄まじい気迫で彼は近くの壁を叩きつける。
 地面を揺るがす振動、破砕音と共に、壁が大きくえぐれていた。
 恐らくは、ケルビエルとほぼ同等であろう凄まじい実力。
 崩れそうなほど破壊された壁から、それがはっきりと窺える。
「冷静になれよゾフィエル」
「なったさ」
 大きく息を吐くと、ゾフィエルは冷静さを取り戻した。
 彼とケルビエルのコンビは実に強力と言えるだろう。
 どちらか一人ですら勝ち目が薄いというのに、
 事態は更に凪たちにとって不利なものとなっていく。

04月10日(金)  AM06:18
アルカデイア・フロスティア

 時間は前後し、三十分ほど前のエウロパ宮殿付近。
 人気のない静かな路地に、傷だらけの天使が倒れるように座っている。
 宮殿やその周辺は天使たちが警備についていたが、
 そこだけは彼以外に天使の姿はどこにもなかった。
 息も絶え絶えに、彼は身じろぎもせずじっとしている。
(まさかうりっちと闘うなんて、思ってもみなかった。
 エウロパ宮殿へ行くのはちょっと無理だなあ・・・)
 ラファエルは身体を休めたら砂漠へと引き返そうと考えた。
 凪たちのことは気にかかるが、今の自分が役に立てるとも思えない。
 恐らく彼らのもとへたどり着くことも不可能だろう。
 捕まるような下手を打つくらいならば、
 大人しく引きさがるほうがよいと考えた。
 そんなとき、不意に遠くから足音が聞こえてくる。
 この場所が見つかったのなら、ラファエルはどうしようもない。
 動くことすら困難なのだ。心臓の鼓動が足音を聞いて急ぎ始める。
 音の聞こえるほうをじっと見ていると、
 彼が居る路地へと一人の天使が入ってくるのが見えた。
「うらぶれた路地に隠れるの得意だったよなあ・・・ラファ」
「みっき〜!」
 崩したスーツ姿に長髪の金髪。ラファエルが見紛うはずもない。
 間違いなく歩いてきたのはミカエルだった。
「どうして・・・君が、ここに」
「ちと野暮用ってことで抜け出してきたのさ。
 ルシードたちは老賢者に任せてあるし、
 それにお前とはきちんと話をしなきゃいけないしな」
 相変わらずの口調に態度。そこにラファエルは違和感を覚える。
 まるで何もなかったかのような素振りだ。
 ミカエルは内ポケットから煙草を取り出すと、
 火をつけてゆっくりと口から煙を吐く。
 話をする、という言葉通り彼は壁にもたれかかって話し始めた。
「ずっと思ってたんだよ。お前は四大熾天使なんて向いてないってな。
 お前は自分の正義を通して、何を為してきた? 何ができたんだ?
 イヴを助けてどうする。ただいたずらに事態を複雑にするだけだ」
 煙草を吸いながら、ミカエルは軽い口調でそんなことを言った。
 彼の態度はブラフに違いない。ラファエルはそう考えた。
 感情を悟られないよう、わざとそうやって話しているのだろう。
 そうだと信じて、ラファエルは心からミカエルに言葉を紡いだ。
「そうかもしれない。でも、僕は自分の信じた道を行く。
 目の前の誰かを助けたいって気持ちを信じるよ」
「そうやって目先に捉われ大局を見失って、何が救えるっていうんだ?
 今現在イヴを助けられたとしても、奴の居場所はどこにもないんだぜ。
 あいつが絶望の淵で死を迎えることに変わりはない」
 いつものように、彼はラファエルへ現実的な言葉をぶつける。
 ただ、普段よりもミカエルの言葉はとげとげしいものになっていた。
 ラファエルは心のままを、ありのままを言葉に変える。
「居場所を作れる世界を・・・僕たちが作ればいいんじゃないかな」
「理想論だな。誰かの犠牲なくして、誰かの幸せは成り立たない。
 多くの屍を積み上げて、幸福は生み出されるんだ」
「そんなのは幸福じゃないよ。みっき〜はそれを変えるんでしょ?
 今の仕組みを変えて、少しでも良い未来を作れるようにって・・・」
 ラファエルがそう言いかけると、ミカエルは炎を具現して煙草を燃やす。
 塵になった煙草が風で空に舞い上がった。
「下らねえ。所詮、お前は理想の体現者。俺の目指す場所は見えてない」
 そこでミカエルの口調が、ラファエルを責めるようなものに変わる。
 冷たく見下すかのような態度で、彼は壁から離れてラファエルを見た。
「残念だぜ、ラファエル。ジョフとシウダード殺害の罪で、
 お前を捕縛する。抵抗するなら死んでもらう」
「え? ジョフと、シウダード・・・殺害って」
 何を言っているのか解らず、ラファエルは頭で言葉を反芻する。
 二人が死んだことなど彼は初耳だった。
 それも、二人を殺害したラファエルを捕まえるという弁。
 困惑するラファエルにミカエルはとどめの言葉をぶつけた。
「お前が殺したんだよ。何しろ、俺が現場を目撃しているんだからな」
「みっき〜・・・それって、一体」
 ミカエルの口からはっきりと放たれた裏切りの言葉。
 信じられないが、ラファエルは信じないわけにはいかなかった。
 本人が目の前でそう言っているのだから、疑う余地がない。
 何が起こっているのか解らず、混乱だけが頭を埋めていく。
 ラファエルは頭の中が真っ白になるのを感じた。
「解らないならそれでもいい。どちらにしろ、お前はもう終わりだ」
 ミカエルの手から炎が燃え上がり剣へと変化していく。
 レーヴァテイン。彼が持つ黄昏の八神剣だ。
 神剣の中でも、とりわけ所有者と共に有名な剣と言える。
 彼はそれを両手で持つと、後ろ手に低く構えた。
 それを見て、ラファエルは戦慄を覚える。
 前哨戦争やルシファー反乱の折、何度か目にした光景だ。
 滅多に実力を見せないミカエルの必殺とも言える構え。
 放たれるのは彼の具現で最も強力といわれる攻撃だ。
(サンクトゥス・イグニス――――相対して見れる機会が来るなんて)
 そのイメージがもたらすのは、対象の融解、蒸発、液化のどれかだ。
 周囲数十メートルには、何人も存在してはならない。
 あまりの熱量で敵味方関係なく燃やし尽くしてしまうからだ。
 目を閉じ続けていることで、彼の想像力は以前より増している。
 例えタイプ・ゼロ・ポジティブで防御したとしても、
 それを抑える自信がラファエルにはなかった。
(本気なの、ミカエル・・・? 本気で、僕に濡れ衣を着せて殺そうと・・・)
「行くぜ」
 そう言ってミカエルが足を一歩踏み出した瞬間。
 空から一人の天使が路地に降ってきた。
 羽根をはばたかせ、彼はラファエルの傍へと降り立つ。
 驚きで声も出ないラファエルに対し、ミカエルは彼を静かに睨んでいた。
「来たか・・・ラツィエル」
 

Chapter147へ続く