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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

パラダイム・シフト

Chapter174
「罪の門 -03-」
 

 その二人の戦いは、近くにいることすら許さない。
 インクロヴィエと呼ばれる鎌を具現したルシファーは、
 それをサンダルフォン目掛けて大きく振りかぶった。
 胴体に狙いを定め鎌は横に一閃される。
 サンダルフォンはなめらかな動きで、空に飛び上りそれを回避した。
 すると、後方で見ていた天使たちの身体が切断される。
 慌てて天使たちは二人の傍から離れていった。
「インクロヴィエか――それだけではないのであろう」
「解ってるじゃないか」
「忌々しき蛇よ、戦いはこれからだ」
「そう、みたいだね」
 短くそう言うと、ルシファーはさっと上空に跳躍した。
 直後、彼がいた地面が沈下していく。
「失礼ながらサンダルフォン、私も参戦させてもらいます」
 そんな声とともに、サンダルフォンの隣へウリエルがやってきた。
 まっすぐに彼はルシファーを睨みつける。
「ふふ、怖い顔だ。流石に僕も一度後退させてもらおうかな」
「逃がすと思うのか」
「代役はきちんと用意するよ」
 どこかから音が聞こえてくる。ブーン、という音だ。
 即座にウリエルは警戒を強めて防御態勢をとる。
 飛行音を響かせ音速で現れる悪魔は、ただ一人しかいない。
 ウリエルの眼前、ルシファーを守るようにその悪魔は現われた。
「――貴様の相手は俺だ。盟主と闘おうなどと思いあがるな」
「ベルゼーブブ――!」
 更にルシファーのもとへ、悪魔が何人か近づいていく。
 ベリアル、リリス、ベルフェゴール、の三人だ。
 やってきたベリアルの手には、魔槍アルター・アルマが握られている。
 ベルフェゴールから渡されたのだろう。
 彼女もシニスターレインを構え、サンダルフォンを注視していた。
「ルシファー、貴方は少し休んで」
 そう言って彼の手をとったのはリリスだ。
 彼女もベルフェゴールから受け取ったであろう弓を背負っている。
 笑みを浮かべると、ルシファーは首を振って地上に降りた。
 すぐにそれが意味することをリリスは悟る。
 天使の軍勢をかきわけて、一人の天使が歩いてやってきたのだ。
 煙草をくわえ、彼は不機嫌な顔でルシファーの眼前で立ち止まる。
 何事もないかのように閉じていた目を開け、彼は目の前の相手を見据えた。
「ミカエル――そろそろ君が来るころだと思っていた」
「フン、ここをテメェの墓場にしてやるよ」

 

 ルシファーとサンダルフォンの戦いが始まったころ、
 辛うじて凪たちは走り続けることができていた。
 多くの下位天使は、彼らの動きに気を止めている余裕などない。
 途方もないルシファーのイメージが、天使たちを釘づけにしていた。
 その脇をすり抜けて進んでいくと、じきに巨大な木の根が間近に見えてくる。
 既にその両端は見えないほどだ。
「あれは――」
 セフィロトの樹にある程度まで近づいていくと、
 不意に樹の一部分が大きく口を開けるように空洞となる。
 それは元々空洞だったものが、凪の接近でそう変化したように見えた。
 まるで最初からそうだったかのように、何事もなく入口は開かれる。
 周囲の天使たちも、流石にその様子を見逃すことはなかった。
 空洞は高さも幅も数メートルほどの、なかなか大きな空間になっている。
 そんな入口まであと少しというところで、天使が凪たちの前後を塞ぐ。
「邪魔は退けていきますよ」
 黒澤は足を止めることなく、前方の天使たちを鏡の刃で切り刻んだ。
 続いて凪とラファエルも、道をふさぐ天使を吹き飛ばしていく。
「さて……この数なら行けそうじゃの」
 彼らの後ろに付きながら、ラツィエルは足元に粘性のある液体を具現した。
 後方から追ってくる天使たちは、その液体に足を取られて動けなくなる。
 四人は、そのまま走って空洞の中へと入っていった。

 

 思ったよりもすんなりと、凪たちはセフィロトの樹へと侵入する。
 後方から追いかけてくる天使たちに追いつかれぬよう、
 足を止めることはできなかったが、辺りの景色は嫌でも目に入ってきた。
 入口から少し進んだ頃、樹の内部は明らかにその様相を変える。
「なんだ、これ――」
 汗を滲ませながら、思わず凪はそう呟いた。
 ある場所を境に、地面や壁が金属製へと切り替わっている。
 奥へと走っていくと、何か半円の門に似たオブジェが現れた。
 全裸の人間を模した彫像が何人も手で足を掴み、門を形作っている。
 宗教画を思わせる、どこか気味の悪いオブジェだ。
 止まりそうになる凪だが、覚悟を決めるとそれをくぐって先へ進む。
 四人を追って、後方の天使たちもオブジェをくぐろうとした。
 先頭にいた二人の天使が、オブジェを越えた直後バラバラになって崩れる。
 鋭利な糸状のものが、彼らを何重にもブロックに分割したのだ。
 振り返った凪は、その惨状を目の当たりにして立ち止まる。
「ど、どういう……こと?」
 起こったことに混乱していると、凪に黒澤が言った。
「偶然か理由あるものか解りませんが、
 我々はああならなかったということです」
「セフィロトの樹にこんな仕掛けが……?」
「さてね。周囲の様子を見る限り、ただの不思議な樹ではなさそうですが」
 天使がオブジェから先に進めない以上、しばらく追撃はないと考えられる。
 オブジェからある程度距離を取ってから、凪たちは歩き始めることにした。
 上部には明かりのようなものが点灯していて、視界は良好といえる。
 彼らが少し歩いていくと、目の前に再び奇妙なオブジェが現れた。
 先ほどよりも大きく、また多くの人が象られた巨大な門。
 そう、それは人が連なっているが確かに門と言える形をとっている。
 一つ一つが様々な表情をしており、多くは苦悶を顔に浮かべていた。
 先ほどのオブジェとは違い、凪たちは警戒しつつ門に近づいていく。
 すると、凪は門に何かが書かれているのを見つけた。
「何だろう、これ。どこの言葉で書かれてるんだろう」
「ふむ――エノク文字に近いですが、見たことのないものですね」
 不思議そうな顔で黒澤はその文字を眺める。
「この門の先、罪は貴方を恋い慕う。
 それを貴方は治めなければならない――」
 そう口にしたのはラツィエルだった。
 眉間にしわを寄せ、彼はそれを見つめている。
「そう書いてあるのう」
「……ラツィエル、この文字を知っているのですか」
「まあ、昔見たことがあるような、ないような気がするだけじゃよ」
 歯切れの悪い返答に、黒澤は訝しむような顔をした。
 しかし、その言葉の意味するところにも興味はある。
 黒澤にとって、それは聞いたことのある言葉だったからだ。
「貴方が正しいとすれば、それは創世記の第四章にある言葉ですね」
「確か、カインに対して主なる神の告げられた言葉だっけ」
 横から口をだしたのはラファエルだ。
 当然ながら、四代熾天使である彼もその言葉は知っている。
 気がかりなのは、この門にそれが書かれていたということだ。
 四人は恐らくこれこそが罪の門であると、確信を深めている。
 間違いなくここがセフィロトの樹の入り口なのだと。
「気になるのは、この言葉や門に付けられた罪、という単語です」
「門の先に、罪となる何かがあるってことなのかな」
 推測を話すラファエルに、黒澤は考えながら答える。
「或いは――この先に進むことこそが罪。神を目指す行為である、と」
「だとしたら、誰がこの門を作ったんだろう」
「神の代弁者である天使が疑問を浮かべるのでしたら、謎でしょうね」
 黒澤の言うとおり、神の代行は天使の仕事だ。
 天使が罪の門を建造していないのなら、答えは二つに絞られる。
 この門は神の作りしものではないか、天使以外の者が神を代行したかだ。
「でも、このセフィロトの樹自体も天使が作ったわけじゃないんだよね」
「そうだよ、凪君」
「それなのにここが本当に神へ至るんだとしたら、何か変じゃない?」
「言われてみれば――」
 天使の知らない神への道。それは、別の代行者の存在を意味するのか。
 あるいは別の何かの関与があるのか。凪には想像もつかない。
 とりあえず、皆は様子を窺いながら門をくぐっていく。
 どうやら凪たちが細切れになることはなさそうだった。
 歩きながらそうやって話していると、通路の先に広い空間が見えてくる。
 中心には大きな樹の幹と扉らしきものがあった。
 上を見上げると、上層のほうは透明になっていて外がうっすらと見える。
 どうやら、今いる場所は樹の中央に近いようだ。
 空間の中心には柱と扉らしきものの姿がうかがえる。
 恐らくはそれを使用して上層へと向かうのだろう。
 そこへと凪たちが歩いていくと、突然何かの声が聞こえてきた。
「罪の門より出づる光よ、願わくばこれが最後の出会いであらんことを」
「この声――どこかで――」
「我は太母の前で待つ」
 そういうと、声はそれきり聞こえてくることはなくなる。
 逡巡して凪はその声の主を思い出した。
「この声に、この場所……もしかして、メタトロンなのか」
 はっきりと声を覚えているわけではないが、確信に近いものはある。
 かつて対峙した場所も、セフィロトの樹の内部だった。
 樹を守るのがメタトロンの目的ならば合点はいく。
「メタトロンじゃと? あのような上位天使が――」
「熾天使が守るほどの何かが、ここにはあるということでしょう」

 

 中央にある扉の中は、上層部へ向かうための装置が設置されていた。
 室内は十数人が入れる程度の大きさで、奥には操作パネルが設置されている。
 一言でいえばエレベータに近い構造の機器と言えた。
 サイズや規模を考えると、それはさながら軌道エレベータのようではある。
 ただし、ケーブルはなく動力も不明だ。
 操作パネルに黒澤が触れると、扉は閉まり室内は上昇を始める。
 音もなく部屋は樹を上へと昇っていく。
 少し上昇したところで、部屋の壁が透明になり外側の景色が映し出された。
「なるほど、内側からだと外部が透けて見えるわけですか」
「どういう仕組みかはわからないけど、洒落た構造だね」
 黒澤とラファエルは、高速で上昇する室内から外を眺める。
 眼下では、依然として天使と悪魔の激しい戦いが繰り広げられていた。
 あっという間に、それらは豆粒ほどの大きさになっていく。
 上空数百メートルほどの場所で、ガタンと部屋が揺れた。
 昇降機が停止したのだと凪たちは推察する。
 入ってきた扉が開いた先には、先ほどと同じような空間が広がっていた。
 違うのは前方にエレベータの扉らしきものが見える点だ。
 今度は、中央から端にあるそれに移動する必要があるということだろう。
「上へ行くためには、あっちに乗換えが必要ってことなのかな」
「そのようです」
 凪が抱いた疑問に答える黒澤。彼の顔には期待の色がにじんでいる。
 もうじき、望んだものが現れるのではないか、という期待だ。
「しかし――この設備は、天使でも計れぬオーバーテクノロジーじゃな」
「悪魔の技術でも、まだこのようなものは作れませんね。
 継ぎ合わせの目が見えない床に、霊的でも人的でもないプロテクト技術。
 それに先ほどのオブジェに仕掛けられた罠の作動要因も、です」
 そう言って黒澤は膝をついて、床に手で触れてみる。
 金属らしき感触ではあるが、その物質が何かも推測できなかった。
 明らかに未知の物質だ。
「ここにいると、セフィロトの樹の内側だなんて思えないよ」
 そう呟いて、凪は先にあるエレベータの扉に近づいていく。
 扉を開けようとして、彼は手を伸ばしたまま固まってしまった。
 取っ手らしきものがない。
 手をついてみると、音もなく扉は消えて室内が覗ける。
「なるほど」
 技術に感心しながら、凪は部屋の中へ入っていった。
 この階層に来た昇降機と同じ仕組みで、奥に操作パネルが備えられている。
 皆が集まると、ラツィエルがそのパネルを操作して昇降機を起動させた。
 今度も無事部屋は上昇を始め、数秒で速度は最高に到達する。
 外はやがて少しずつ色合いを変え、白い雲が視界を覆いつくした。
 それから辺りは暗闇に包まれ、じきにまた昇降機が動作を停止する。
 どの程度の高さに到達したのか。すでに外の景色からは想像がつかなかった。
 彼らが部屋から外へ出ると、今度は中央の幹に扉らしきものは見えない。
 幹の周りには、複雑な造りの装置が並べられていた。
「ここは――」
 その空間へ足を踏み出そうとすると、再び声が辺りに響く。
「これはシステム・グレートマザー。最も愚かにして賢しき罪科の礎なり」

Chapter175へ続く