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紫苑の夜
著作 早坂由紀夫
Chapter21
「不穏の足音」
7月26日(土) PM13:49 快晴
市街・銀樋沢(かねひざわ)
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学園を出て電車で一駅行った所に、
大きいショッピングモールがある。
銀樋沢という駅だが昔は凄くマイナーだった。
けどショッピングモールが出来ると急に人が来る様になり、
東京みたいに人が増えてしまったのだそうだ。
まあ、あまりこの辺りに来た事がない俺には解らない事だが・・・。
俺達は私服でウィンドウショッピングをしていた。
紅音も紫齊も真白ちゃんも葉月もいる。
つまり全員だ。
これで深織が居たらパーフェクトだ。
だがあいつは男として認識されてるので来れない。
「・・・・・・?」
歩いている内にふと周りが俺達を見てる事に気付いた。
何だろう・・・紅音の口元にお弁当が付いてるとか?
紅音を見てみるがそんな事はなかった。
俺は紫齊に聞いてみる事にする。
「ねぇ、私達なんだか浮いてない?」
「・・・それは凪が原因だろぉ」
「私? なんで私なの?」
「紅音、説明してあげて」
「は〜い」
うわ〜・・・なんか凄く負けた気分だ。
紅音に聞かなくちゃいけないのも屈辱だ。
「学園の人達は凪ちゃんを見慣れてきたけど、
この街の人は凪ちゃん見たらびっくりすると思うよ?」
「ど、どういう事?」
「凪ちゃんが綺麗だからに決まってるよぉ〜。
それに服装だって黒を基調にして可愛らしいしぃ」
「・・・服装は紅音の趣味でしょ」
確かに俺はフリルの付いたとんでもない服を着ていた。
アイドルの衣装と殆ど変わらない様な服で、
まあそれより少しは地味なのが救いではある。
だがなんでこんなフランス人形みたいな服を着てると思ってるんだ。
紅音が今日はこれが吉だよ、なんて言うからだろ。
と、近くを歩いていた二人組の女の子が走り寄ってきた。
「あの、すみません・・・モデルの人ですか?」
「はい?」
「あれ? 芸能人の人じゃないんですか?」
「・・・違うよ」
なるべく嫌味にならない様に笑ってみた。
二人とも何も言わずに俺の方を見てる。
なんか気まずい・・・。
俺が男だってバレてないだろうな。
「あ、あの・・・お名前聞いても良いですか?」
「うん・・・私は高天原凪」
喋った後で少し後悔した。
この女の子達が俺の知り合いの知り合いとかだったらどうしよう。
・・・大丈夫だな、多分。
母親がもみ消すだろう。
軽くその二人との話を切り上げると、
俺達は逃げる様に先へ進んだ。
今度はサングラスをかけたスーツ姿の男が歩いてくる。
「ねぇねぇ君、アイドルやってみない?
君なら滅茶苦茶売れるよ。俺が保証する」
「・・・結構です」
勘弁して欲しかった。
ただでさえ女の振りに慣れてきたっていうのに、
男心をくすぐる様な仕事なんてしたくない。
余計に女らしくなってしまうじゃないか。
俺は女形を目指してる訳じゃないんだぞ・・・。
今度は違うスーツ姿の男が歩いてきた。
「君さあ、こういう仕事やってみない?」
そう言って俺に無理矢理名詞を渡してくる。
グレイプス、という会社名。
なんの仕事かよく解らない。
「ある意味アイドルより金は入るよ。
君なら一番売れるって、声もすげぇ可愛いし」
「まさか・・・AV?」
「まあ、そんな関係」
ふざけるのも大概にしろよ・・・。
何が悲しくてそんな仕事しなくちゃいけないんだ。
こいつをはっ倒して大声で叫んでやりたい。
俺が男だと言う事を・・・。
と、紅音が俺の前で仁王立ちしながら両手を広げる。
「凪ちゃんは私のです〜っ」
「あ、じゃあ二人で出てみる? 君も可愛いし、
こりゃあ下手するとミリオンいっちまうぞ・・・」
「一人で夢見てて下さいね」
俺は可愛らしくそう言うとそいつの首に手刀を決めた。
ドサッという音と同時にそいつは地べたに倒れる。
「な、凪ちゃん何したの?」
「・・・さあ、この人寝てなかったんじゃない?」
そう誤魔化すと俺達はさっさとそこから離れた。
この街、早速嫌いになれそうだ。
あんまりこの辺りには来ないから良いか。
買い物する時はいつも渋谷とかに出ている。
大きい街とかじゃないと、
知り合いに会ってしまうかもしれないからだ。
昔の知り合いに女の格好をしてる俺を見られるわけにはいかない。
そんな時、隣にいた紫齊は機嫌悪そうに俺に言った。
「なんか変な奴が多いなぁ。凪も気を付けろよ〜?
ただでさえ男女受けする顔なんだから」
「どう気を付けろって言うの・・・」 |
7月26日(土) PM14:29 快晴
ショッピングモール
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水着売り場にやってきたのは良いが、
俺はどうにも恥ずかしくて入りづらかった。
勿論、皆お構いなしに中へ入っていく。
大体新しい水着なんて要らないって・・・着ないから。
「凪ちゃ〜ん、これ可愛いよ〜っ」
「・・・ちょ、ちょっと露出度が」
「え〜? 凪ちゃんは自慢できるから良いよぉ。
私は身体のラインが出ないのじゃないと恥ずかしいもん」
紅音・・・俺だってそうじゃないとまずいんだよ。
恥ずかしいどころか見苦しいんですよ。
特に下半身は絶対にパレオ以外は受け付けない。
「ちょっと着てみよ〜よ凪ちゃんっ!」
「わ、私は良いよ・・・ま、真白ちゃんっ」
俺はちょうど近くにいた真白ちゃんに助けを求める。
彼女は現状を察したらしく歩いてきた。
手に水着を持って。
「紅音さん、これなんか凪さんに似合いますよ」
それは落ち着いた色のパレオだった。
まだ救いはある気がする。
根本では大きく間違っているのだが。
「あ〜っ、それ可愛いっ! 凪ちゃ〜んっ」
一応俺は紅音に聴いてみる事にした。
「ほ、ほんきですか〜?」
「当たり前〜」
抵抗も虚しく、水着を試着する事になってしまった。
更衣室で着替えながらふと鏡を見る。
ああ・・・俺って一体何をやってるんだろう。
ただの変態にしか見えないぞ。
真白ちゃんは絶対におもしろがってるよな・・・。
「凪、着替えた?」
紫齊の声がしたかと思うと仕切がガラッと開けられた。
「し・・・紫齊っ。せめて私の返答を待ってから開けてよっ!」
「着替え終わってるんだからいいだろぉ。
・・・うん、凄く似合ってるよ」
そう満面の笑顔で紫齊は言う。
俺からしてみれば凄く複雑だ。
真白ちゃんも紅音も俺を見て口々に褒め称える。
「もうビーチの主役は凪ちゃんだね〜っ」
「凪さんはホント何着ても似合うなぁ」
真白ちゃんのフォローに期待できなくなってきた。
この子は間違いなく俺で遊ぼうとしてるな。
それにしても誰かこの姿に疑いを持ってくれよ。
パレオが似合う男子高校生なんてありえねぇだろ・・・。
それでも少しずつ違和感が無くなってる自分が恐ろしい。
周りに言われてる内に気にならなくなってくんだろうか。
・・・この羞恥心だけは忘れてはならない。
俺はそう心に誓った。 |
7月26日(土) PM18:29 快晴
寮内エントランス一階
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俺達はなんやかんやで色々と買い物をして帰ってきた。
っていうか年頃の男子高校生の買い物じゃない。
男物が一つも無いからだ。
当たり前と言えば当たり前ではある。
けど、さすがに生理用品とかを買い始めた日には逃げ出した。
そういえば凪ちゃんってあんまり・・・
なんて紅音に言われた時はどうしようかと思ったぞ。
真白ちゃんがフォローしてくれなかったらきつかった。
そんな生々しい話題には到底付いていけない。
それ以前に俺に月経が来るはずねえだろ。
前に初めて紅音がそんな事言い出した時は、
俺は布団に飛び込んで寝たふりしてた記憶がある。
それで俺は部屋にいるのもあれなのでここにいた。
いや、別に紅音がどうとかって訳じゃない。
ただ妙に二人で居るのが恥ずかしくなっただけだ。
見回りか何かで教師が何回か歩いてくる。
夏休みなのにご苦労様、というよりご愁傷様だ。
やはり見回りに来るのは女の先生の確率の方が高かった。
女子寮に男の先生で出入りしてるのは・・・
「高天原君、どうしたんですか? こんな所で」
出た。黒澤だ。
黒澤・・・先生というべきか。
「や、まあ・・・ぼ〜っとしてただけです」
この人の場合は女子寮を見回りしてても文句は言われない。
むしろ部屋に呼ばれる事もあるそうだ。
恐らくは修学旅行のノリだろう。
ただ、やはりそれが許されるのは黒澤だからだが。
「部活でもやってみたらどうです?
せっかくの夏休みを無駄に費やすのも勿体ないでしょう。
ちなみに私はバスケ部の顧問ですよ」
「・・・じゃあ、バスケ部以外を探してみます」
「私がバスケ部の顧問をやってますよ」
「二度言われなくても解ってます・・・」
黒澤はどうも苦手だ。
嫌いなタイプでは無いはずなんだがどうしても駄目だ。
「ふむ、君は面白い子です。本当にね」
「お兄様っ!?」
今なんか凄い声を聞いた気がする。
振り返るとそこには葉月のルームメイト、美玖ちゃんがいた。
凄い形相で俺の事を睨んでる。
「凪っ、お兄様から離れなさい!」
「別に近づいてないけど・・・」
むしろ多少距離を取っているくらいだ。
美玖ちゃんは俺と黒澤の間を割って入ってくる。
俺としては有り難くもあるが、
なぜか彼女は勝ち誇った顔をしていた。
「全くこんな所で密会しているなんて、油断も隙もないわ」
「み、密会・・・?」
とんでもなくねじ曲がった誤解をされている。
偶然に会っただけだし、密会なんてしたくもない。
「美玖、そんなに高天原君を攻めてはいけませんよ」
「お兄様っ、凪の肩を持つなんていけませんわ」
「・・・私は教師ですよ。生徒は常に平等に見ているつもりです」
そう言って黒澤はぽんぽん、と美玖ちゃんの頭を撫でる。
彼女は真っ赤になってはにかんでいた。
なんか妙な兄妹だな・・・。
美玖ちゃんは我に返ると俺の方を見て咳を一つついた。
「まあ、今日の所は勘弁してあげます。
ですが二度はありません事よっ」
びしっと俺の方を指差す美玖ちゃん。
まあまあ、と彼女に笑いかけると黒澤は俺に言った。
「それでは高天原君、バスケ部で待っていますよ」
そんな事を言い残すと黒澤はどこかへ去っていく。
その後で美玖ちゃんが俺の方を睨みつけた。
「あなたの運動神経じゃマネージャーがお似合いね。
でもお兄様目当てでバスケ部に入ったら許さないわよっ」
美玖ちゃんはそう言うと自分の部屋へと帰っていく。
途中何回か俺の方を振り向くのだが、
そのせいで何度か転んだりしていた。
・・・なんか憎めない子だ。 |
7月26日(土) PM21:32 快晴
寮内自室
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夜空を窓から眺めてみる。
夏の大三角形とかいうのが見えた。
あれ? 大三角形は冬か?
とにかく星が凄く綺麗な夜だった。
少し涼しい風が出ていて風情もある。
「凪ちゃ〜ん、何見てるの?」
「星が綺麗だと思って」
俺がそう言うと紅音も歩いて夜空を見上げる。
紅音は目を輝かせてその景色に見入っていた。
風呂上がりだからか髪がしっとりと濡れている。
それにパジャマに着替えていた。
なんか凄く可愛く見えるのは気のせいだろうか。
「わぁ〜〜っ・・・綺麗だねぇ〜」
「あ、で・・・でしょ?」
「うんっ」
そう言って紅音は俺の方を向く。
その時、俺と紅音の距離は殆ど無かった。
「ぁ・・・」
少し身体を傾ければキスできる様なそれくらいの距離。
ただ身長差のせいで紅音は俺を見上げていたが、
それが余計に紅音を可愛らしく見せていた。
お互い見つめ合ったまま何も言えない。
表情からは何も読みとれないけど、
紅音は黙って俺の方をじっと見つめていた。
何か・・・変な気がする。
「くしゅんっ」
紅音はくしゃみをした拍子に俺に抱きついてきた。
風呂に入った後で風に当たってたせいだろうか。
俺はそっと紅音の髪を撫でてみた。
まだ少し水分を含んでいる。
でもさらさらとして触り心地の良い髪だった。
それに少しシャンプーの香りがする。
「あ、と・・・」
何か紅音が言おうとしているが何も言ってこない。
俺は何故か妙な気分になっていた。
紅音に触れている部分が紅音に掌握されていく感覚。
まるで細胞が紅音を求めている様な・・・。
何を・・・考えてるんだ、俺は・・・。
「ねぇ、わたし・・・」
「え?」
紅音が何かを言おうとした瞬間、
ドアをノックする音が聞こえてきた。
二人してドアの方を見ると紫齊が立っている。
「二人とも、なに抱きあってんの?」
「えぁっ!?」
「あわぁ〜っ」
奇声を上げながら俺と紅音は離れる。
危なかった。
なんか凄く変な気分だった。
今まで紅音といてもこんな気になった事無かったのに・・・。
「レズは勘弁してよ〜。私この部屋に泊まれなくなるじゃん」
「ち、違うよっ」
「そうだよぉっ! 私がくしゃみした拍子に
たまたま抱き合っちゃっただけだよぉ〜っ」
「ふ〜ん、まあそんな関係なはずないか」
紫齊は納得した顔をして部屋の冷蔵庫を開ける。
そして手元にぶら下げていた酒を入れ始めた。
いつも通りだが、ホント紫齊はよく飲むよなぁ。
毎日飲んでる様な気さえする。
「さて、今日もはりきっていこうか」
「よぉ〜しっ、今日は飲むよぉ〜〜っ」
「紅音は飲まないのっ」×2 |
7月26日(土) PM22:24 快晴
寮内自室
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俺達はいつものペースで飲んでいた。
紅音は勿論ジュースしか飲んでない。
そう言えば今日はあまり葉月と話さなかったな。
真白ちゃんと紅音のパワーに押されたというのもでかい。
だがなんとなく上の空と言った感じだった気がした。
また、悪魔か何かだろうか・・・。
それとも葉月自身の問題?
「凪っ! 酒が止まってるぞぉ」
「はいはい。じゃあロートシルトいっちゃおうかな」
っていうかどうしてこんな酒があるんだ?
これって結構高価な酒だったと思う。
前の越の寒梅にしてもそうだ。
まあ・・・美味いから良いか。
「凪は洋酒ばっかだなぁ。やっぱ女はポン酒でしょ」
いや、俺のイメージでは日本酒はおっさんだぞ。
若い女が日本酒を好んだりはあまりしないと思う。
「やっぱり私もお酒飲みたいよぉ〜」
「紅音は大人になってから。まだ早いよ」
紫齊はそんな事を言って酒を一気飲みする。
この女は少しずつ酒が強くなってる気がするな。
前だったらとっくに潰れるくらい飲んでるぞ。
「さて、じゃあ秘密ぶっちゃけトーク〜っ」
妙に元気な声を上げて紫齊はそんな提案をする。
そしていきなり俺の前に日本酒を置いた。
「凪っ! あんたの秘密を教えなさいっ。
駄目ならこれを一気のみだよ」
目の前の一升瓶は半分くらい残っていた。
さすがにこれの一気はキツイ。
「私からなんてずるいよ。紫齊から」
「わ、私ぃ?」
「そうだよ。紫齊の中学時代とかでもいいよ」
「・・・中学、時代。懐かしいなぁ」
酔っているのか虚ろに目線を落とす紫齊。
なんか聞いちゃいけない事を聞いてしまったのだろうか。
「私のは・・・暗いから、さ」
それ以上何かを聞くのはなんとなく躊躇われた。
紫齊の表情が沈んでいたのもあったし、
いつのまにか紅音が酒を飲もうとしてたからだ。 |
7月26日(土) PM22:46 快晴
市街・銀樋沢
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帰りの電車に急ぐ人々の群れの中で静かに逆行する人影。
その人影は黒いマントに身を包みながら、
ビルの物陰に入っていく。
と同時に圧倒的な跳躍力でビルの屋上へと上がった。
「この感覚・・・」
街全体を覆う様な嫌な感覚がイヴに込み上げていた。
ビルからビルへと飛び移りながらその元を探る。
そしてイヴは奇妙な事に気が付いた。
月が自分を照らしているにもかかわらず、
急に周りが暗闇に変わったのだ。
正確にはそれは間違いだった。
頭上に巨大なモノが浮遊しているのだ。
上を見た時にはかわせるギリギリの距離。
それをなんとか避けきるとその巨体と対峙する。
「貴様は、アスモデウス・・・」
「よぉイヴ。人間の姿じゃない事が意外そうだな」
「・・・何人の人間の魂を喰った!」
アスモデウスの三つある頭全ての顔が笑みに変わる。
そして低いうなり声で笑った。
「そんな事を気にするより自分の事を気にしろよ。
異端者はどんな地獄を味わって死ぬのかを・・・な」
「貴様が私を殺せるとでもいうのか?」
イヴはアスモデウスを睨みつける。
だがアスモデウスは全くそれを気にしていなかった。
「殺す前に犯してやってもいいぜ?
ただこの姿だと挿入した時にショックで死ぬかもな。
今の俺のイチモツはでかいからよぉ・・・」
「・・・下衆が」
イヴは静かに対象へと手を向ける。
辺りをまるで拳銃を突きつけた様な緊張が支配していた。
「解ってねぇな。今日はまだ殺らねえよ。
というよりお前が標的じゃないんだよな。
ま、ここじゃお互いやりにくいだろ?
ちゃんと舞台を用意してあるから安心しろ」
「ここで充分だ・・・!」
そう言い放つとイヴは黒い炎を具現化する。
瞬時にアスモデウスの身体が黒い炎に燃やされていった。
だが次の瞬間にはその炎はかき消される。
アスモデウスの身体が気迫でそれをはねのけたのだ。
「馬鹿な、炎が・・・?」
「お前の黒炎はまだ本物じゃないんだよ。
そんな半端な具現で俺を滅殺できると思ったか?」
「くっ・・・」
イヴの顔が明らかな焦りの色に変わる。
今まで彼女の黒い炎をかき消した者などいなかったからだ。
だがそれは人間の姿だからという事もイヴは知っている。
悪魔本来の姿を取り戻した者とは力のレベルが違っているのだ。
絶対量とでも言うべきだろう。
つまりボクシングで言えば軽量級と重量級ほどの差がある。
アスモデウスの蓄えられる力の絶対量の方が圧倒的に上なのだ。
「この調子じゃお前の負けは決まったな。
お前が神に背くなら勝てもしようが・・・」
「ふざけるなっ!」
「ふん、まあいい。楽しみにしてるぜ。
お前が苦痛と快楽にもがき苦しむ姿をな・・・」
そう言うとアスモデウスは、
翼を羽ばたかせて夜の闇へと飛び去っていく。
冷や汗がイヴの額を伝っていた。
この場で闘っていれば確実にイヴが負けていただろう。
確かに葉月と完全に意志が疎通できてないせいもある。
だが100%の状態で闘ったとして、果たして勝てるか。
イヴは解っていた。
アスモデウスと闘えば負ける・・・と。
闘う前に敗北を味わっていた。
イヴは殺される事も汚される事も恐ろしくはない。
ただ葉月に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
そして神に愛想を尽かされる事が何より恐ろしい。
(・・・だが待て。奴は私が標的じゃないと言った。
相応しい舞台を用意しているとも・・・まさか、学園の人間が?)
それにしても不可解な点がある。
悪魔が固定の人間を狙うなんて事は考えられないからだ。
常に悪魔の目的は不特定多数の人間。
よっぽどの事情が無い限り決まった人間をつけ狙う事などしない。
ふと凪の事がイヴの脳裏をかすめていた。
(まさか・・・まさか、な)
だがイヴはそこでアスモデウスの事を思い出す。
アスモデウスは美しいモノをコレクションするのが趣味だ。
それは物であり人間でもある。
凪は女性であるイヴの目から見ても充分に美しかった。
彼女が襲われる危険もある・・・そうイヴは考えた。
だがその考えはイヴをただ焦らせる。
幾らイヴでも今回ばかりは護りきれる自信がないのだ。
なにしろ相手は完全体となった悪魔。
さらにアスモデウスはリリスやベリアルには劣る物の、
充分に大悪魔としての力を持っていた。
それが完全に力を発揮できるわけだ。
イヴには大きすぎる相手ではある。
爵位を持つ悪魔であるアスモデウスなら、
その気になれば街一つを掌握する事も出来るのだ。
それでもイヴに道は多く残されていない。
闘って勝つか、負けるか。
イヴは少しずつ自身に悲壮な決意を込めていった。 |
Chapter22へ続く