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紫苑の夜

著作 早坂由紀夫

Chapter22
「手、抜いただろ」

7月28日(月) AM07:38 快晴
新幹線内

俺は今、自分が改めてボンボンだと言う事を思い知っていた。
親が入学する時に渡してきた一枚のカード。
限度額は・・・ははは、1500万。
これで高校生活を全てエンジョイしろと言う事だと思う。
だが計算すると1年で約500万・・・充分すぎるぜ。
という事を紅音達に話してみると、
案の定旅行費用は奢りという話が持ち上がった。
俺としても使い切れそうにない額なのでちょうどいい。
真白ちゃんは悪いから自分で払うと言ってたが俺が押し切った。
やはり迷惑かけてる分・・・迷惑かけてる分?
よくよく考えてみると俺ってそんなに迷惑かけてるのだろうか。
女として入学したのを負い目に感じてるだけかもしれない。
だがそんな事とは別に日数は過ぎ、俺達は海へ向かっていた。
新幹線、しかもグリーン席。
寝台もあるのだが数時間でつくので必要ないだろう。
俺は当初長袖オンリーで服を荷詰めしていた。
だが何故だろう・・・。
今着ている服も、バッグの中にもそんな物はない。
紅音にやられたのだ。
凄く露出度の高い服やワンピが何点も・・・。
ご丁寧に靴もサンダルとか可愛らしい奴ばっかりだった。
・・・勝手に荷物変えるのは、反則だろ。
俺は隣で座って寝てる紅音をはっ倒そうかと思った。
しかし凄く寝顔が幸せそうだ。
っていうか、寝台で寝ればいいのに・・・。
向かいには紫齊と真白ちゃん、それに葉月が座ってる。
「紅音ちゃん寝てしまったんですね」
葉月は優しい顔をしながら紅音を見ていた。
「ま、5時起きだからね。
 紅音は起きられただけでも誉めてあげなきゃ」
いつもは8時近くになって目を覚ますんだから。
でも紅音ってあの学園以外通えないんじゃないか?
と、紅音は俺の方にもたれかかってくる。
一応口は閉じているので涎の危険はなさそうだ。
だが俺の腕に両手を添えて抱きついている。
「紅音ってたま〜に危ない兆候があるよね〜」
「でも、凪さんは嫌そうじゃないですよ・・・」
紫齊の一言にそんな事を真白ちゃんが言い出した。
なんか俺の事をジト目で見てる。
俺の方は紅音の胸がぷにっと当たってるので、
どうしても苦笑いしかできなかった。
くそぉ・・・ふにってしてるぞ、ふにって。
真白ちゃんは顔を近づけて俺に耳打ちしてくる。
「あのぉ、顔がにやけてますよっ・・・」
「胸が当たってるんだよ」
「・・・いやらしいんですね、凪さんって」
返す言葉もなかった。
でもそんな事を言ったって男としてはこれが普通なはず。
逆に胸が当たってるのに平気な顔できるはずがない。
真白ちゃんは男じゃないから解らないんだよ。
というのは勿論彼女には通じないだろう。
自分の席に座ると真白ちゃんは俺の口元を見て少し驚いた。
「凪さん・・・口紅塗ってます?」
「あ、ああ・・・うん。紅音に塗られちゃった。
 ベリートゥルーリップの13番だって」
なんで名前を覚えているかというと、
何度も紅音に目の前で言われてたからだ。
寝ぼけた顔で13番だよ、13番なんて言うんだもんなぁ。
覚えたくないのに覚えてしまった。
何が悲しくてリップなんか付けなくちゃいけないんだよ。
確か紅音はリップって言うよりグロスかなぁなんて言ってたけど、
そんなのどっちだって一緒だろ。
・・・まあ紅音が使ってる奴だというのは秘密だ。
真白ちゃんに余計な誤解をされかねない。
確かに桜色の唇にはなったが何か変な感じだ。
リップクリームより違和感がある。
「どおりでいつもより凪が可愛らしく見えると思った」
「・・・ありがと紫齊」
全然有り難くはないけどな。
実は紅音にアイラインを引かれたりマスカラをつけられたり、
チークをさらさら叩かれたり・・・。
かなりメイクされているのだが黙っておこう。
というより気付いてるのかもしれないが・・・。
だって、さっきからそんな話題ばっかりだからだ。
やっぱり紅音の好きにさせるんじゃなかった。

7月28日(月) AM10:48 快晴
旅館・『十六夜』 一階フロア・ロビー

俺達は新幹線を降りると送迎バスに乗って旅館までやってきた。
やはり海といったらホテルより旅館がいい。
さらに言うなら少し萎びてて、でも内装は綺麗なのがベストだ。
この旅館はその条件をほぼクリアしている。
やはりトイレとかが汚かったら嫌な気がするものだ。
木造ではないのが清潔面ではプラス要素ではある。
床も全てに絨毯が敷かれていて殆どホテルと変わらなかった。
だが旅館らしさもちゃんとある。
全体が和を強調しているというのがそうだ。
こういう旅館に来ると俺もなんとなくわくわくしてくる。
だから紅音の気持ちも解らなくはなかった。
でも紅音はもうはしゃぎまくっていて見てて怖い。
「凪ちゃん凪ちゃんっ! 早く泳ぎに行こうよ〜っ」
「はい?」
ちょっと待て。
今日は海に入らないから俺にメイクしたんじゃないのか?
それだったらあの30分以上にも及ぶ俺の我慢は一体・・・。
「凪っ! どっちが速いか・・・勝負だよ」
紫齊は泳ぐ気満々だった。
っていうか絶対に泳がないからな、俺は・・・。
「とりあえず、荷物を置きにいきませんか?」
葉月のその提案はもっともだった。
俺達はロビーで部屋のキーを受け取ると階段を上がっていく。

7月28日(月) AM10:54 快晴
旅館・『十六夜』 三階・十夜の間

この旅館は十六夜という名前だ。
最初は面白い名前だなくらいにしか思ってなかったが、
ここに来て少しその意味が解った気がする。
全四階建てになっていて部屋ごとに名前が付いているのだ。
一階から一夜、二夜・・・そして四階に多分、十六夜がある。
101号室、みたいな名前じゃない分覚えやすい気がした。
俺達が泊まるのは十夜の間。
5人が泊まるのには丁度良い広さだった。
そしてお約束の様にテーブルには八つ橋がある。
ここは京都じゃないのに、なぜ・・・?
窓からはすぐ手前に見える海が一望できた。
この部屋からは岩礁に包まれた海に見える。
だけどそれでもその景色は凄く期待感を沸き上がらせた。
「・・・綺麗だね」
紫齊がそんな事をぽつりと言う。
葉月も真白ちゃんも、紅音さえもその景色をぼんやり眺めていた。
なんかこういうのって良いな・・・。
潮を含んだちょっとしょっぱい香り。
オードトワレなんかの擬似的な物とは根本から違う。
どこか懐古心を誘う様でさえあった。
紫齊はゆっくりとその窓へと歩いていく。
「なんか、ちょっと私・・・疲れちゃった」
そんな事を言うと紫齊は窓辺に腰掛けて伸びをする。
さっきまで俺と勝負するとか言ってたくせに・・・。
「じゃあ海行かないの? 紫齊ちゃん」
少し残念そうに紅音がそう言った。
するとなぜか紫齊はすぐに上着を脱ぎ出す。
「なぁに言ってんだよ、泳ぐに決まってんじゃんっ」
「よぉ〜しっ! 私も着替えよっと!」
「え、え・・・」
どうしよう。
俺がいるのもお構いなしに紅音も紫齊も服を脱ぎ始める。
葉月ちゃんも少し恥ずかしそうに前のボタンを外し始めた。
もしかして俺って凄く今、幸せなのだろうか。
「凪さぁんっ、トイレ行きたいでしょ。行きたいですよねっ」
真白ちゃんがにこにこ顔で俺の眼前に立ちはだかった。
そして押し出す様に俺を外にうっちゃっていく。

7月28日(月) AM11:04 快晴
旅館・『十六夜』 三階・廊下

思いっきり追い出された。
まあ当たり前か。
でも紫齊って結構可愛いブラをつけてたな。
それだけはバッチリ見えてしまったのだ。
事故だ、事故。
だが自分の方が可愛いブラをしてるというのが切ない。
それにしても部屋の前でじっとしてたら変かな?
とりあえず辺りをうろうろしてみる。
すると隣の九夜の間から二人組の女の子が出てきた。
さらにこっちを見るなり凝視する様に固まってしまう。
「あ、あの・・・ここに泊まってる人ですか?」
「ええ、そうです」
右側の明るそうなショートカットの女の子がそう聞いてきた。
少しシャギーの様な、くせっ毛の様な髪型をしていて、
二人とも水着の上に羽織る様に上着を着ている。
やっぱり海が近いからだろうか。
手荷物を見ると特に着替えもない様だ。
とりあえず愛想笑いをしてみる。
するとショートカットの子が俺に質問してきた。
「幾つですか? 大学生?」
「え? いえ、高校生ですけど」
「はぁ・・・綺麗ってよく言われるでしょう」
にこやかにそう言ってきたのは左側の女の人だ。
ポニーテールを少し短くした様な髪型で、
穏やかで大人って感じがする人だった。
「まあ、たまに言われますね」
「あ・・・紹介が遅れちゃったね。私は波多瀬甍(はたせ いらか)」
自己紹介を始めたのは右側のショートカットの子だった。
そして次にポニテの人が紹介を始める。
「私は波多瀬ゆりき。この子は高校生で私は大学生だよ」
「へぇ・・・あ、私は高天原凪です」
「高天原・・・凪?」
甍ちゃんが妙な目つきで俺の事を見る。
なんだよ、なんかまずい事言ったか?
もしかして深織の時みたいに俺の知らない知り合いとか・・・?
だとしたらこの姿はまずいよな。
少しその表情で何かを思い出そうとしている。
どうせなら何も思い出すな・・・記憶から消してくれ。
「あぁっ! そうだ、思い出したっ!」
「な、何を・・・?」
「あなたの噂聞いた事有るわよ、
 ミッション系の学園に高天原って言う凄く可愛い子がいるって」
うげ・・・。
あまり危険なネタではない物の衝撃的ではある。
学園外にも徐々に俺の名前が広まっているのだ。
しかも凄く可愛い女の子という尾ひれで。
「確かに想像してたより・・・っていうか綺麗っ! 可愛いっ!」
「そうだねぇ。こんな子が妹だったらなあ」
「・・・なんだよぉ、どおせ私は可愛くないですよ〜だ」
そんな顔をして甍ちゃんが頬を膨らます。
この二人、名字が同じだと思ったら姉妹なのか。
ゆりきさんが姉で甍ちゃんが妹。
なんか理想を絵に描いた様な姉妹だな。
「でも凪ちゃんか。どこかで聞いた事がある気がするなぁ・・・」
唇に人差し指を当ててそんな事を言うゆりきさん。
俺も何となくこの人を知ってる気がする。
多分、少し紅音と雰囲気が似てるからだろう。
ゆりきさんに比べれば紅音は全然はっちゃけてるが。
でもそれとは別に・・・昔、どこかで会った様な・・・。
「それより姉さん。そろそろ泳ぎに行かない?」
「あ、そうだね。凪ちゃんも一緒に行こうよ」
「私は連れがいるんで・・・ごめん」
そう言うと少し残念そうな顔をして二人は階段を降りていった。
面白いっていうか、仲良くなれそうな姉妹だな。

オンナだ・・・クモツ・・・だ・・・

「え?」
俺は何か妙な声が聞こえた気がして振り返る。
そこには突き当たりまで延々と続く廊下があるだけだった。
さっきと何も変わりはない。
ただ日差しが雲で隠れたのか辺りが暗くなっていた。
その瞬間、何か凄くこの旅館が不気味なモノに見える。
おぞましいモノが蠢いている様な嫌悪感。
それは日差しがまた辺りを照らし出すとすぐに消えてしまった。
なんだったんだろう・・・?
あまり気にするのは止めておくか。
せっかく学園を出てきて旅行に来てるわけだしな。
悪魔とか何だとかは忘れる事にしよう。
その時、ふと近くの壁のシミが気になった。
まるで人がこっちを見ている様なシミ。
それも物凄い形相で・・・。
「なぁ〜ぎさんっ」
「うわぁっ!」
びっくりして振り向くと後ろには真白ちゃんが立っていた。
彼女も俺が驚いたのに驚いている。
「ご、ごめん・・・ちょっとびっくりしただけ」
「あはは・・・すみません」
頭の後ろに手をやって謝る真白ちゃん。
どうやら水着に着替えた様だった。
ハイレグと言うのは死語の様に聞こえるがそんな水着を来てる。
露出度はそんなに高くはなかった。
そして上に耐水っぽい薄いパーカーを羽織っている。
ただ・・・凄く、凄く胸が目立つ気がした。
「凪さん、この水着どうですか? 似合います?」
「ああ、うん・・・凄く」
「私の胸じっと見てますね」
ふふっ、と微笑む真白ちゃん。
その姿はどこか吸血鬼だった時の彼女を思い出させる。
そう、えっちな真白ちゃんって凄く可愛いんだよな・・・。
まるで吸い込まれそうなくらいに。
・・・って俺は早速とんでもない事を考えてるぞ。
「真白ちゃん。あんまり私で遊ぶのは止めてね・・・」
「秘密の共有者として権限は使わないと、ですよ」
この子に知られたのは実は凄くまずかったのだろうか。
何か最近、凄くこの子に遊ばれてる気がするんだよな。
そんな事を考えていると部屋から紅音達が出てきた。

7月28日(月) AM11:31 快晴
海・浜辺

燦然と照りつける太陽をUVカットしつつ、
俺達は海ではしゃぎ回っている。
正確には紅音達、だ。
俺は結局水着に着替えさせられてしまったが泳いでいない。
泳ぐ為に問題がありそうなのはまず変声器だが、
母親に電話したら核兵器でも落ちない限り平気だと言われた。
後は胸パットだが耐水性らしい。
つまり問題がことごとく吹っ飛んでしまったわけだ。
もうヤケになって紫齊と勝負してもいい感じだな。
化粧なんか落ちたって構わないし。
というよりビーチパラソルの下で飲み物を飲んでるのは辛い。
何が辛いかってそんなのはすぐ解るのだ。
「ねぇ君、暇そうだね〜。俺と話でもしない?」
「結構です」
「あの〜写真良いっすか〜?」
「駄目です」
「夏の開放感に任せてみな〜い?」
「みません」
こんな感じで何度男が寄ってきた事か。
っていうかひっきりなしだった。
今も、新興宗教でも作れそうな程の人の視線を感じている。
考えたくはないが俺の水着姿を見ているのだろうか。
笑える様な、笑ったら何かが崩れてしまう様な・・・。
紅音は海で葉月や真白ちゃんとビーチボールで遊んでいた。
あいつ、身体のラインがでる水着は着ないって言ってた割には、
スカートタイプの随分ラインの出る水着を着てる。
なんか子供っぽくて紅音らしいと言えばそうなんだが・・・。
でもちょっと魅力出し過ぎじゃないか?
紅音も何人もの男に声をかけられていた。
っていうか、俺達は全員そんなもんだ。
真白ちゃんは凄く可愛いし紫齊も葉月も可愛い。
紅音もガキっぽいけど可愛いと言えば可愛い。
やっぱり紅音とかもモテるのだという事を再確認してしまった。
でもなんか・・・俺に声かけるのよりむかつく。
特にこんな所で知り合った奴に紅音を渡せるかよ。
・・・悔しいとかじゃなくて紅音の身を案じてるだけだ。
俺は紅音の所に歩いていった。
丁度どっかの男が紅音に声をかけている。
「だからさ、いいじゃん」
「でも私・・・あのぉ」
「紅音っ」
「あっ、凪ちゃ〜んっ」
俺に抱きつく様に走ってくるとそのまま俺の後ろに下がる。
男はやる気を失った様で去っていった。
「全く、紅音をナンパするなんて・・・紅音もちゃんと断りなよ」
「うん。なんか断るのも悪い気がしちゃってさぁ」
「だからって半端な態度は逆に失礼だよ」
言っている事は正論に見えたがあんまりそうではなかった。
俺自身なんとなく紅音があんな男に対して、
少しでも気を許すのが気にくわなかったからだ。
・・・何を、束縛するような事考えてるんだ・・・俺。
まさか紅音の事・・・?
違うっ。
あんな男は絶対に怪しいからだ。
間違っても紅音の事を好きになり始めてるわけはない。
こんなガキくさい女・・・。
「ごめんね凪ちゃん。ありがとっ」
「気をつけなよ、紅音は可愛いんだから」
「えっ? えへぇ〜・・・もぉ、凪ちゃんってばぁっ」
紅音はこの上なく照れていた。
そして俺は少しずつ紅音に惹かれている。
それを否定する事が難しくなってきていた。
勘違いするなよ俺は・・・。
紅音が笑ってるのは女の高天原凪に対してだ。
だったら俺も女として紅音に接しなきゃいけない。
そう、そうすべきだ。

7月28日(月) PM13:45 快晴

俺は食事を皆で取った後、少し海に入る事にした。
一応健康な体をしてるわけだし海が嫌いな訳じゃない。
それに水泳は結構得意なんだよな。
紫齊の挑戦を受けてやる事にした。
少し汚い浜辺を抜けて海へと入っていく。
冷たくてざらっとした感じが心地よかった。
俺が海に入ると紫齊もついてくる。
あんまり得意そうな顔をしてるので言ってやった。
「紫齊、ハンデいる?」
「・・・凪ぃ。あんまし私を舐めない方が良いよ」
今まで充分紫齊のスポーツの実力は見てきてる。
だが水泳は俺の得意分野だ。
あまり大差で勝つと紫齊に悪いからな。
「まあ悔しかったら私の胸で泣きなさい」
「なんで私が負けてるんだよっ。
 しかも勝者の胸で泣くなんて・・・」
微妙に俺の自信に気付いてきたらしい。
ちょっとハンデをつけるべきだったと考えてるだろう。
俺達は葉月の合図で位置に着く。
ちなみに勝負は目印のブイをタッチして、
先に浜辺に帰ってきた方が勝ちだ。
「よぉ〜い、どんっ!」

  ぱしゃぱしゃあっ!

最初の内は海の中で目を開けるのは辛かった。
少しずつ慣らしていけば気にならなくなるだろう。
紫齊は結構流線状に流れる様に泳いでいる。
フォームも結構綺麗だしクロールが板に付いていた。
だが相手のフォームを見る余裕さえ俺にはある。
なんせ水泳界ではソープか俺かくらいかだからな。
俺は水に身体を任せる様に泳ぎ始める。
元々男女差があるので紫齊を追い抜くのは簡単だった。
でもあんまり本気を出したら可哀相かもしれない。
紫齊は確かに運動神経は良いんだよな。
ただあいつにはどこか躊躇いみたいなモノがあった。
ホントに些細にしか現れない欠点ではある。
だけどそれは俺にとって弱点にすら見えた。
何事でも腹を括れていない奴は弱いからだ。
まあ、紫齊が腹を括れてないとかそんなんではない。
少しだけ戸惑いがあって、それで一瞬硬直するんだ。
だからはっきり言ってしまえば、
そのまま何かの一流にはなれないと思う。
あくまで今の話だが。
そして俺達はほぼ同時にゴールし、少しの僅差で俺が勝った。
紫齊は立ち上がると俺の方へと歩いてくる。
いつも通りに笑って次は勝つみたいな事を言うんだろうな。
「凪、手・・・抜いただろ」
「え?」
「手を抜かれてる事が解らないと思った?
 それとも私如きには本気出すまでもないって事?」
紫齊の瞳は真剣に俺の事を見つめている。
どこか悲しそうに、やるせなさそうに。
「な、何言ってるの。そんな事無いって」
「・・・そう、気のせいならいいんだ。ごめん」
見透かされてた・・・。
とってつけた様に笑いながら謝る紫齊。
俺を責めてるっていうよりまるで、自分を責めてる様な・・・。
「紫齊、私・・・」
「気にしないで。負けて悔しかっただけ・・・それだけだから」
嘘をついているのは明らかだった。
だって紫齊は俺の事を真っ直ぐ見て話してない。
・・・後でホントの事を言って謝る事にしよう。
俺自身ちょっと紫齊に対して酷い事考えてた。
紫齊の言うとおり、本気出すまでもないって思ってた。
でも何か違う事に対する憤りも混じってた気がする。
その後で紫齊はすぐに泳ぎ始めていたが、
どこかその姿は寂しそうに見えた。

Chapter23へ続く