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紫苑の夜

著作 早坂由紀夫

Chapter23
「逸在する悪魔の影」

7月28日(月) PM17:23 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

俺達は一通り海で遊んでくると部屋に戻ってくつろいでいた。
紅音なんかは疲れを感じてないのかまだはしゃいでる。
俺は全然駄目だった。
油断すると男の様にくつろいでしまいそうだ。
っていうかそう出来ないのがどうしようもなく切ない。
そんな時に涼しげな潮の風が髪を撫でてきた。
夏の風ってなんかノスタルジーでいいよなぁ・・・。
忘れかけてた何かを思い出しそうになるっていうか、
何の気なしに凄く切なくなるっていうか。

――――――相変わらずなのね・・・そう言う所。

「え?」
今頭の中で声がした様な・・・。
誰かが喋ってきたのか?
でも紅音達の声じゃない。
なんだ・・・今の妙な声。
聴いた事ない、女の人の声。
凄く安らぐ様な・・・それでいて懐かしい気がした。
聴いた事がないのに懐かしい? 
何か・・・それって変だ。
「凪」
「・・・え?」
紫齊が俺に話しかけていた。
ちょっと苛立った様に俺の方を見ている。
「皆、御飯食べに降りて行っちゃったよ」
「ああ・・・そっか」
この旅館は食堂で食べるタイプなんだった。
「あのさ、凪・・・ちょっと話さない?」
「え・・・うん。いいよ」
窓際を向いて真剣な口調で言う紫齊に、
俺は断る事が出来ず肯いていた。
紫齊はここに来てから何か変な気がする。
上手く言えないけど、まるで何かに縋ろうとする様な・・・。
「なんか今日はごめん。嫌な気分になっただろ?」
「ん・・・そんなに気にしてないよ。
 私こそさ、ちょっと紫齊を馬鹿にしてたかも。
 紫齊、私の方こそごめんね」
俺は出来るだけ紫齊の目を見てそう言った。
「いいんだよ。もう気にしてないから。
 でも結局私ってさ、運動神経良い事だけが取り柄みたい。
 はは・・・それは凪も知ってるだろ?」
「まあ、運動神経が良いって事はね」
「凪に初めて会ってさ、バスケやった時から感じてたんだ。
 自分に一つしかない取り柄も、上をいく人がいる。
 私はやっぱり大した事なかったんだって・・・」
「そんな事、ないよ」
・・・紫齊がそんな風に思ってるなんて知らなかった。
スポーツの勝ち負けなんて気にしてないと思ってたのに・・・。
俺は紫齊のプライドをうち砕いてしまったんだな。
でも本当なら負けて当たり前なんだ。
だって・・・まず俺は男なんだから。
「嘘付かなくてもいいって。解ってるんだよ。
 私・・・卒業したら結婚しなくちゃいけないんだ」
「・・・え?」
結婚?
紫齊の口から一番らしくない言葉が放たれる。
それはこいつの表情を見ていれば本意ではない事が解った。
「嫌だったよ、私が何も出来ないからみたいでさ。
 でも実際私には何も出来る事なんてないんだよね。
 ねぇ凪、やっぱり大人しく結婚するべきなのかな・・・」
泣きそうな顔で紫齊はそう言う。
そして俺の隣にゆっくりと座った。
今までになく紫齊がか弱い女の子に見える。
そのせいか俺は無意識に紫齊の髪を撫でていた。
「な、凪・・・」
「私だって自分に何が出来るかなんて解らないよ。
 でもさ、卒業までは2年以上ある。
 何かを諦めるにはまだ早いんじゃない?」
「・・・・・・」
俺の事を潤んだ瞳で見つめる紫齊。
いつもの勝ち気な表情とは裏腹に凄く女の子らしかった。
やばい・・・可愛いぞ。
「凪に相談してよかった。凪ってさ、変なトコで男らしいよ」
それは紫齊的には誉めているんだと思う。
だが俺としてはとても切なかった。
要は変なトコ以外は女らしいって事だろ。
でもまあ・・・紫齊が笑顔に戻った事だし良しとするか。
「けど私だけ弱み見せたんじゃ悔しいなぁ。
 凪もなんか私に相談しなよ」
「・・・はい?」
「だってそうだろぉ? 凪、なんでも相談してよ」
何をとんでもない事を・・・。
俺の悩みなんて話したらどうなる事か。
「私はこれといって悩みはないよ」
「そう? 絶対何かあるよ。いつもそんな顔してるじゃん」
くっ・・・結構その話題で粘るな。
紅音がいれば、なし崩し的に話題をすり替えられるのに。
その時――――――。
窓の外に何かが見えた。
下から上へと飛び去っていく何かの影。
「今の・・・は?」
「え?」
「紫齊、今窓の外に何か・・・見えた」
「えぇ? 何かって・・・」
そう言いながら紫齊は窓から辺りを見回す。
紫齊って結構物怖じしないんだな・・・。
「何もないよ?」
「じゃあ・・・見間違いかもしれない」
でもなんとなく奇妙な物が見えた気がした。
大きい羊みたいな・・・でもおかしいよな。
羊が空を飛ぶはずがない。
虫にしては大きすぎる気がした。
やっぱり見間違い・・・だろう。
「あのさ、凪・・・私はホントはさ。ホントは・・・」
「え?」
そう紫齊が何かを言いかけた時だった。
ガラッと部屋のドアが開いて真白ちゃんが入ってくる。
「二人とも遅いですよぉ〜。
 御飯冷めちゃうから早く来てくださいっ」
「あ、ああ・・・うん」
真白ちゃん達はどうやら俺達を待っていたらしい。
俺達は話を切り上げると部屋を出る事にした。

7月28日(月) PM17:38 快晴
旅館・『十六夜』一階・食神の間

一階に下りると食神の間と書かれた場所へ入っていく。
それにしてもとんでもない名前だよな。
食の神って・・・あれか?
中に入るとそこは畳の敷かれた宴会場の様な場所だった。
宿泊客が一同に介して食事してる。
なんか皆が俺を食い入る様に見ている気がした。
気のせいだ。
はあ、きっと俺って奴は自意識過剰なんだろう。
むしろそうである事を切に願おう。
俺達は十夜と書かれた場所に座ると紅音達に謝った。
「ごめんね、皆」
「もぉ〜凪ちゃんも紫齊ちゃんも、
 時間にルーズなんだからぁ〜」
紅音がそんなふうに俺達に文句を言う。
だが紅音にだけは言われたくねえ・・・。
ふと隣を見るとやはりそこには例の姉妹がいた。
「あらぁ〜っ、凪ちゃんじゃない。奇遇ねぇ〜」
「姉さん・・・奇遇じゃ無いわよ」
確かに皆で食事するんだから奇遇ではない。
彼女は何処か人とズレてるみたいだ。
俺は皆にゆりきさんと甍ちゃんを紹介する。
すると甍ちゃんが俺達に言った。
「高天原さんの通ってる高校って可愛い子多いね〜」
「え、そ・・・そんな事無いですよぉ〜っ!」
紅音は頭の後ろに手を当てて照れまくっている。
こいつはホント誉められるのに弱いよなぁ。
真白ちゃんや葉月もまんざらでは無さそうだった。
でも・・・紫齊だけは何処か遠慮がちに笑ってる。
「紫齊、どうかした?」
「いやさぁ・・・私はあんまし可愛くないかなぁ・・・って」
苦笑いしながらそう言う紫齊。
結構言われ慣れてないんだろうか。
俺は結構可愛いと思うけどなぁ。
はっ・・・!
待てよ、やっぱりその可愛いリストには
俺が含まれてるんだろうか。
今更な気もするが・・・再確認するとやっぱり落ち込む。
「あんたは充分可愛いから、心配しなくても良いよ」
とりあえず紫齊にそう言っておいた。
だが俺自身がへこんでるのに、
なんで人のフォローなんざしなきゃいけないんだろう。
紫齊はちょっとはにかむ様に笑っていた。
「凪ちゃんはさあ、彼氏とかいないの?」
ゆりきさんが俺に駄目押しをしようとしてる。
知らないが故のそのスマイルが痛かった。
「いませんよ。募集もしてませんし」
瞬間、辺りがざわついた気がした。
男の声で「まじで?」という声が聞こえてくる。
もしかして爆弾に火をつけてしまったんだろうか。
「そっかぁ〜可愛いから絶対いると思った。
 でも、私達も募集無しっとか言いたいよねぇ」
そんな風にゆりきさんが甍ちゃんに振る。
「確かにね。男に困ってないから言える台詞だよ、それは」
困ってない・・・ある意味では困っているけどな。
「じゃあ私にいい男紹介してっ。ね、高天原さん」
「や、そう言われても・・・」
紹介できる程に仲の良い男なんていない。
大体がすぐ知り合いになりたくなくなる様な奴だからな。
その時、紫齊が妙な事を言いだした。
「あれ? そう言えば久保山先輩と付き合ってんじゃないの?」
「え、先輩との恋? どんな人? かっこいい?」
紫齊と甍ちゃんが盛り上がり始める。
人の話題で、しかも誤解で盛り上がらないでほしかった。
「格好いいよっ。しかも凪が生徒会長でその人は補佐なの」
「え〜っ! 生徒会同士の愛!? まるで少女漫画みたいっ」
「付き合ってないってば・・・」
俺のそんな反論も虚しくどんどん話題は進んでいく。
「高天原さんってもしかして・・・もう、しちゃったの?」
「・・・はい?」
甍ちゃんが世にも恐ろしい事を聞いてきた。
俺の脳内細胞が結構な数死んだかもしれない。
確かに出来ない事はないさ。
相手は男のフリした女なんだからな。
けど、彼女のいう意味は俺が女である前提の物だ。
つまりやられたか、という事だろ。
「凪ちゃんはそんなコトしません〜っ!」
状況を見守っていた紅音が怒った。
可愛らしく腰に手を当てて俺の弁護をする。
「く、紅音ちゃん、そんな怒らなくたって」
「甍ちゃんってば凪ちゃんを虐めたら駄目だよぉ〜」
頬を膨らませて怒りを体現していた。
だが皆はそれを見て爆笑してしまう。
「いま、今時そんな事して怒るなんて・・・あははっ」
「え? え?」
甍ちゃんがなぜ笑ってるのかイマイチ解ってないらしい。
でもおかげで話題が逸れてくれた。
紅音に助けられたな・・・。
「紅音ちゃんは可愛いなぁ。高天原さんが好きなんだね」
「え、へへぇ〜〜そんな、好きだなんてぇ」
今日は紅音スマイルの特売日だった。
ホント笑ってばっかりだな、紅音は。
するとゆりきさんはふと思い出した様に口を開いた。
「紅音ちゃんって、可愛いねぇ〜」
そして頬に手を当てながら優しく微笑む。
間違いなかった。
彼女は明らかにズレてる。
しかも大幅にズレていた。

7月28日(月) PM20:52 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

俺達は帰ってきてすぐに風呂に向かった。
そう、俺はなんとか今はいいと言って難を逃れていた。
真白ちゃんも風呂には入らなかった。
その時点で俺は嫌な予感がしてたのだが、
帰ってきた皆の浴衣のせいで全て吹っ飛んでしまった。
なんで浴衣ってこんなに色っぽいのだろう。
やっぱり微妙にはだけてるから?
紫齊なんかは崩れすぎてて直視できない。
髪もしっとり濡れていて凄く艶やかだった。
・・・俺、自制心が持つのだろうか。
そしてしばらくの間、拷問の様な会話が続いてた。
「ふわぁ〜、風がきもちい〜ねぇ〜」
紅音は窓辺に立って風に当たっている。
葉月と紫齊は何故か酒を飲み始めていた。
正確には葉月は飲まされてるのだが。
「っていうか・・・海に来てまで酒ですか〜?」
「凪、女はポリシーを貫く事が大事だよ」
酒を飲む事が紫齊にとってのポリシーなんだろうか。
だとしたらなんてひん曲がったポリシーだろう。
「凪さん、あの・・・お風呂入りましょうよ」
「・・・え?」
真白ちゃんは俺に近づくと小声で言う。
「私が見張っててあげますから」
なるほど。
それは凄く助かる。
と言うわけで俺と真白ちゃんは風呂に向かう事にした。

7月28日(月) PM21:02 快晴
旅館・『十六夜』一階・浴神の間

この旅館は多分、神をつければ良いと思ってるんだろう。
浴場の入口にある『浴神の間』と言う表記を見てそう思った。
俺達は浴場に着くと手早く服を脱ぎ始める。
・・・え?
「なんで真白ちゃんも脱いでるの!?」
「きゃあっ、こっち向かないでくださいっ」
「うぁ・・・ごめん」
俺は思わずそっぽを向いてしまう。
どうしようもないので俺は服を脱ぎ始めた。
一応バスタオルを付けて身体のラインが見えない様にする。
真白ちゃんも同様にバスタオルを巻いていた。
でも太腿なんかはバッチリ見えてる。
タオルがちょっと短いんじゃないか?
でも凄くそこへと視線がいってしまう。
なんていうか、理想的な色っぽさと言うべきか。
・・・何を考えてるんだ。
彼女の善意での行動なのに、何をエロい考えを・・・。
「え、ええとさぁ・・・どうして真白ちゃんが脱いでるの?」
「だって私もお風呂入ってないですから」
そ、そんな理由で一緒に入って良いものなのか?
あり得ねぇ。
あり得ねぇ事が起きてるぞ。
そうは言っても文句を言う事も出来ず、
俺達はこそこそと身体を洗うと湯船に浸かっていた。
露天風呂なので満点の星空が頭上に煌めいている。
なんとなく、ここに来て良かったと思った。
最近は色々あってさすがの俺も少し滅入ってたからな。
と、気付くと真白ちゃんは俺のすぐ隣にいる。
彼女の表情は凄く微妙だった。
むすっとしてる様なすましてる様な表情。
自然な表情なのかもしれない。
ただ、どうしても視線が彼女の肢体へいってしまう。
やはりと言うべきか胸。
バスタオルで半分は隠れている。
だが上の部分は思い切り曝されていた。
つまり、胸の谷間という奴が見えてるわけですよ。
もう少しタオルがはだければ桃色の象徴が見えてしまいます。
・・・駄目だ。
俺はもう真白ちゃんにノックアウトされかけてる。
こんな無防備に隣に座られてしまったら、
普通の野郎ならとっくに襲ってるぞ。
あれ・・・俺、普通じゃないのか?
「さっきから、えっちな視線を感じるんですけど」
「えあっ! そ、それは・・・そのぉ」
ジト目で俺の方を見る真白ちゃん。
でもこの子は明らかに楽しんでいる。
畜生、もうやってられるか。
俺はさっさと湯船から上がろうとした。
すると真白ちゃんがひしっと寄り添ってくる。
腕を絡めてそうしてるので胸の感触が、腕に・・・。
「ちょ、あ、そ・・・真白、ちゃん?」
「結構見た目より筋肉付いてるんですね〜・・・」
「ま、まあね」
俺はどうする事も出来ずに湯船に浸かり直す。
でも真白ちゃんは絡めた腕を離してくれない。
「な〜んか、こうしてるとえっちな気分になってきませんか?」
「は・・・はぁ」
ええと、誘われてる?
でも吸血鬼の真白ちゃんならまだしも、
人間の彼女がこんなコトするなんておかしくないか?
「もしかして、まだ吸血鬼の部分が残ってたりするとか・・・」
「・・・私の本心じゃないだろう、と言いたいわけですね?」
がっかりした様に俺から離れる真白ちゃん。
俺も少しがっかりしたのは秘密だ。
彼女は口を湯船に沈めてブクブクしている。
だがその時真白ちゃんのバスタオルが少しはだけた。
「ま、真白さぁ〜ん・・・バスタオル取れかけてるよ」
「きゃあっ」
彼女は慌てて身体を竦める。
だが・・・上半身が一瞬見えた。
卒倒してしまいそうだ。
「な、凪さん・・・見ましたね」
顔を真っ赤にして真白ちゃんはそんな事を言う。
さっきまでとは打って変わって恥ずかしそうだった。
「ちょこっと、ね」
「責任取って下さいよぉ・・・」
「・・・へ?」
「私を貰ってください」
二の句が継げなかった。
なんだよ、この展開は。
このラブコメの常識を越えた一言は。
幾つかの過程を飛び越えた爆弾発言。
けど、すぐに真白ちゃんは舌をぺろっと出していった。
「冗談ですよっ! 本気にしました・・・?」
「や・・・まさか!」
なんて小悪魔。
ひどすぎるっ。
男心を心ゆくまで遊び尽くされた気分だ。
一瞬、マジでどうしようか考える所だったぜ。
「でも、本気だったらどう答えてました?」
「・・・え」
「私じゃやっぱり嫌ですよね〜・・・」
そんな事を少し沈んだ顔で言われた日には断れないだろう。
しかもまたブクブク沈んでるし。
俺はノリで答える事にした。
「嫌なんかじゃないよっ。別に、さ」
「・・・ホントですか?」
「本当だって、嬉しくて舞い上がっちゃうよ」
ちょっと言い過ぎたかもしれない。
だがその後の妄想モードに入った真白ちゃんには、
何を言う事もはばかられた。
「凪さんとの結婚生活かぁ・・・えへ、あは〜〜」
真白ちゃんはどこか違う世界に飛んでいる。
俺はただ、早く帰ってきてくれる事を祈るばかりだった。
っていうかこの子は男の恐ろしさを知らないのか?
皆が俺みたいな奴じゃないんだぞ・・・。
と、自分が情けない奴だと言ってるみたいだ。
あくまで俺の行動は紳士なのに。
いや・・・むしろ誘いに乗るべきだったのか?
勢いに任せて見ても良かったような・・・。

7月28日(月) PM22:12 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

かなりデンジャラスな入浴を終えると俺達は布団を敷く。
こういう時間はホントに至福だと思った。
布団に寝転がると少しひんやりとして気持ちいい。
ちなみに両隣には紫齊と紅音が、
向かいには真白ちゃんと葉月が寝ていた。
ただ、実際に睡眠を取っている奴はいやしない。
なんか中学の修学旅行を思い出した。
・・・でも、女の子とこうしてる記憶はない。
中学の時は男同士で馬鹿やってる方が楽しかったからな。
今もそれは変わってないつもりなんだが・・・。
実に奇妙な現実だ。
まるでハーレムだもんなぁ。
あまり深く考えるのは止めておこう。
女として行動できなくなりそうだ。
「凪ちゃん凪ちゃん、枕投げやろっ」
「・・・枕投げぇ?」
「そうだよっ、えいっ!」
ばふっと言う音がして俺の顔に枕がぶつかってきた。
紅音の奴・・・加減という物を知らないのか?
いや、待てよ?
「紫齊っ! 紅音にお酒は飲ませてないよね」
「あは、ははは・・・」
苦笑い。
さっきから紅音や葉月の様子がおかしいと思ったら・・・。
葉月は瞳を輝かせて何かを呟いていた。
「これはデータによるとですねぇ・・・」
「う、うん・・・」
真白ちゃんが葉月に絡まれていた。
多分、紫齊に相当な量を飲まされたんだろうな。
紫齊自身もいつになく真っ赤な顔をしている。
普段顔にでない紫齊なのに・・・飲み過ぎたみたいだ。
凄くやばい。
「凪ちゃ〜んっ!」
紅音が寝ている俺の上に乗っかってくる。
仰向けで寝てなくてよかった・・・。
だが紅音は俺に馬乗りのままで抱きついてくる。
「襲っちゃうぞぉ〜」
「ちょっ、紅音〜〜!」
危険度Zだ。
背中に紅音の胸が当たってる。
なんて嬉しい・・・違う!
「止めてってばっ!」
「ふゅぅ〜〜」
紅音は俺の背中に抱きついたままで寝ていた。
ハンパじゃなく恐ろしい状況なんですけど・・・。
紅音の頬の感触が、胸の感触が・・・太腿の感触がぁあああっ!
これは俺に対する拷問なのか?
心臓の鼓動が聞こえてくる。
俺じゃなくて紅音のものだ。
もう諦めるしかない。
そのまま俺も寝てしまう事にした。
願わくば、紅音が涎を垂らしません様に・・・。
「凪・・・温かそうだね」
紫齊が嫌味なのかそんな事を言ってきた。
「寒いんだったら変わろうか?」
「・・・や、もう寝よっか!」
逃げやがった。
大体この季節じゃ逆に暑苦しいくらいだぞ。
真白ちゃんの方を見ると、彼女は俺の方を微妙に睨んでる。
でもしばらくすると皆あっという間に寝てしまった。
疲れていたのだろう。
俺もすぐに眠くなってきたので目を閉じた。

7月28日(月) PM23:30 快晴
旅館・『十六夜』三階・廊下

背中が軽くなった気がして、俺はふと目を覚ました。
・・・紅音がいない。
隣の布団を見てみるがもぬけの殻だった。
どういう、事だ・・・。
あいつトイレにでも行ったのか?
俺はすぐに廊下へと出ていく。
廊下は奇妙な雰囲気に包まれていた。
何かが湾曲してる様な・・・嫌な雰囲気だ。
まさか・・・!
こんな海の街に来てまで悪魔が?
嫌な予感が頭をかすめる。
紅音が襲われたんじゃ無いよ、な。
嘘だろ?
こんないきなり・・・。
ふと近く壁を眺めてみた。
不気味なシミが出来てる。
今日見た奴の隣にもう一つ。
やはりそのシミも人の形相の様に見える。
なんなんだよ、この旅館は・・・。
先に見える蛍光灯がチカチカと点灯していた。
それのせいか辺りがゆらゆらしている。

・・・

気味が悪くなってきた。
悪魔が出てくるならまだしも、
嫌な雰囲気だけが辺りを包んでいる。
まるでどこかで俺の事を嘲笑っているかの様だった。
そうだ・・・イヴ、あいつを起こそう。
俺一人じゃどうにも怖くてその場にいられなかった。
そう、なんだか無数の瞳に見られてる様な・・・変な感覚なんだ。
俺は静かに十夜の間の扉を開ける。

7月28日(月) PM23:35 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

葉月は確か真白ちゃんの隣の布団で寝てるはずだ。
俺はそっとその布団を剥ごうとする。
「・・・な、んだって?」
葉月がいなかった。
そんな、馬鹿な。
じゃあ本当に悪魔の・・・?
耳を澄ますと静かな虫の音が聞こえてくる。
不穏な気配なんてどこにもないはずだった。
けど俺の五感は限界まで研ぎ澄まされている。
自然と身体が硬直していくのを感じていた。
恐怖・・・何か得体の知れない恐怖。
イヴは一体何処へ行ったんだ?
なぜだか解らないけど胸騒ぎがする。
あっという間に心拍数が上がっていた。
その時、廊下の方に気配を感じて俺は身を竦める。
後ろを振り向く事が出来なかった。
見てはいけないものが後ろにある様な予感。
死神に睨まれている様な感覚。
恐怖に駆られてるだけだ。
振り向かなきゃもっと危険かもしれない。
俺は精一杯の勇気を振り絞ると後ろを振り向いた。
「・・・え?」

Chapter24へ続く