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紫苑の夜

著作 早坂由紀夫

Chapter25
「想像通りのクライシス」

7月29日(火) PM16:36 快晴
旅館・『十六夜』一階フロア・ロビー

昨日よりも凄いテンションで皆と海にでかけました。
そして俺はあっという間に体力を奪われ、
逃げるように帰ってきたというわけです。
嫌がらせの様に勝負を挑んでくる紫齊。
暇さえあれば俺に飛びかかってくる紅音。
真白ちゃんは真白ちゃんで妙な事を言ってくる。
まるで俺の劣情を誘おうとしてるような態度だった。
吸血鬼に戻ったとかいうオチじゃないだろうな・・・。
俺は一階ロビーのソファーに座って、
コーヒーを飲みながら体力を補給していた。
従業員の人達は俺の顔を見ると挨拶してくる。
いい人達なのか、それとも・・・いや、深く考えるのは止めよう。
自分が注目を浴びる美人だなんて信じたくなかった。
今更だが納得できない物は出来ないのだ。
「隣、いいかな」
そんな声がして俺は横を向いてみる。
そこにはゆりきさんが立っていた。
「どうぞ」
俺は隣の椅子を引く。
ゆりきさんは穏やかな微笑みを見せてそこに座った。
「妹がね、凪ちゃんのお友達と仲良くなったみたいで
 今一緒に遊んでるんだよ」
「へぇ〜・・・そうなんだ」
彼女は俺の方をのぞき込むようにしてそんな事を言う。
まるで顔に見覚えがあるよ、と言わんばかりに。
俺の記憶じゃ10年くらい前の話だ。
ゆりきさんが覚えてるとは思わないが・・・少し怖い。
あの頃は髪が長いって言う理由で虐められてたんだよな。
今みたいに強くなくて、おどおどしてた俺。
この人の背中に隠れてよく泣いてたっけなぁ・・・。
「私ね、凪ちゃんによく似た子と昔会った事あるんだよ」
「・・・えぇ!?」
考えてた事を言い当てられたみたいに俺は驚いてしまった。
タイミング良すぎるぞ・・・。
「でもその子は大人しい男の子だったなぁ。変でしょ?
 女の子に似てる男の子なんて」
「ま、まあそうですね」
ちょっとショックだった。
憧れてたのは確かに昔だけど、
でも憧れてた人に変だと言われるのは辛い。
「その子は『なぁ君』って呼ばれてたんだけど、
 いつも私の後ろに隠れてたなぁ・・・」
「・・・・・・」
「あ、なんか変な話しちゃったね。
 そういえば凪ちゃんは泳がないの?」
「私は・・・別に」
ゆりきさんが俺の事を思い出すはずなんて無かったな。
あの頃と今じゃ違いすぎる。
俺は強くなったし、女としてこの人と接している。
いい加減・・・気付けよ。
もう俺がこうしてる分には誰も俺に気付かないんだ。
男だって事にも。
知り合いだとすればその事実にも。
そうしなくちゃいけないのは解ってる。
それが俺にとって良い事だって言うのは解ってる。
けど・・・なぜか悲しかった。

7月29日(火) PM18:16 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

夕飯を済ませた後、俺は一足先に部屋へ戻ってきていた。
なんか周りと自分の違和感を感じ始めてる。
それが普通だったはずなんだ。
俺は男として生まれてきたんだから。
それなのに男として認識されない事が悔しかった。
自分でそう見せてるのは解ってる。
悔しいのはそれを破れない自分自身。
真白ちゃんの前でさえ女として振る舞ってしまう俺。
もう嫌になってくる。
でも何もかもが嫌になって・・・それでどうする?
不毛な事を考えるのは止せ。
俺は結局、そうして生きてくしかないんだ。
少なくとも高校生活の間は。

  ガラッ

「凪。食後に一杯やろうよ」
「・・・紫齊」
こんな時にこいつの明るさは羨ましい。
でもそれも紫齊は精一杯作ってる明るさなんだろうか。
俺達は静かに酒を酌み交わし始める。
紫齊は相変わらず日本酒を、俺はカクテルを。
「昨日、凪に言えなかった事があったんだ」
「そう言えば・・・そんな風だったね」
「だから今日も愚痴を聞いて貰っても良いかな」
「・・・勿論」
俺は優しくそう言った。
汚い奴なのかもしれない。
人の弱さを知る事で、自分の傷を誤魔化そうとしてるんだから。
酒をあおるように口に入れると紫齊は話し始める。
「凪は好きな人っている?」
「・・・や、いないけど」
「私もだよ。でも好きな人を見つけたいって思うよね」
「ま・・・まあね」
「それこそ家を勘当されても一緒にいたいくらいの人を、さ」
そういう紫齊の顔は凄く印象的だった。
まだ見ぬ誰かに恋してるような瞳。
恋に恋してる感じの女の子の表情だ。
「紫齊・・・家を出たいの?」
「あはは、ちょっと解りやすすぎたかな。
 でも私・・・あんな家に帰りたくないんだ」
何かを恐れてるようにも感じる紫齊の顔。
けど頑なにそれをはねのけているのを感じた。
「中学校の頃に好きだった男の子がいたんだ。
 それで両想いかなって期待して家に連れてったら、
 私の両親はなんて言ったと思う?」
「・・・なんとなく予想付くよ」
「うん。その子の家柄を聞いて相応しくないって言ったんだ。
 別にそんなの気になんてしないのにね。
 そしたらその子とはそれっきり。
 母さんは、あなたには合わないわ・・・なんて言うんだよ?
 私じゃなくて家に合わないだけだろ?
 ・・・あの家にいたら私の人生は殺される。
 今の私を、違う私が飲み込んでいくんだよきっと・・・」
紫齊は話し終えると酒を一気に飲み干す。
まあ酒を飲みたい気持ちも解る気がした。
俺もそうやって振り回されてる立場だからな・・・。
少しずつ変えていかなきゃいけないんだろう。
俺達も、そんな周りの事も。

  「いやぁあああああぁああぁっ!!」

物凄い叫び声がして俺は思わず立ち上がった。
「・・・今の声、何?」
「紫齊、行ってみようっ」
「うん」

7月29日(火) PM18:32 快晴
旅館・『十六夜』一階フロア・ロビー

一階のロビーに人が集まっていた。
何事だろう・・・騒然としてる。
その人の中には紅音達もいた。
3人は俺達に気付くと走って飛びついてくる。
皆、泣きそうな顔をしていた。
「一体何があったの?」
「な、凪ちゃんっ! あれ・・・」
紅音が指差す方を見るとそこには従業員の一人が倒れている。
俺はそれに近づくと紫齊の足を止めた。
「紫齊は、見ない方がいいかも」
「え?」
紫齊を紅音達の所で待たせると俺はその人に近づく。
首元からおびただしい量の血が出ていた。
周りの人達はそれを見て固まってる。
首筋に噛み跡が残っていた。
誰かが首筋に思い切り噛み付いたのか?
血管が外に飛び出していて気持ち悪い。
骨も見えていて、その部分は歯形がはっきり残っていた。
勿論もう生きてはいない。
「でもコレは一体・・・?」

  その瞬間――――――――――――。

誰かの叫び声と共に皆が入り口のドアを凝視する。
不気味な黒い影。
幾つものそれはゆらゆらとこっちを見ていた。
それは人だった。
それも数十人という数の人が旅館の入り口で佇んでる。
暗闇に映る無数の瞳。
全てが無感情で不気味な雰囲気。
「この街の人だ・・・」
そう従業員は呟くと入り口へと歩いていった。
何か嫌な予感がする。
入り口の自動ドアを開けちゃいけないような・・・予感。
だってその人達の目は常人の目つきじゃない。
なにかに取り憑かれたような・・・。
自動ドアを開けて従業員の人が街の人達に何かを話し始める。
多分、この死体の説明でもしてるんだろう。
「あの・・・?」
誰もなんの反応もしていない。
その従業員の話を聞いていないようだった。
その時、ふとその人並みが揺れる。
何人かがその話している従業員の手を引っ張る。
引っ張ってどんどん奥へと押しやっていく。
「あ、あんたら何を・・・」
誰かの顔がその従業員に近づいていった。
それに続いて何人もが同じように顔を近づける。
「いぎゃぁああああっ!!」
顔を近づけたのは食べる為・・・だ。
咀嚼する音が聞こえながらその男の断末魔が響く。
旅館にいる誰もが何も出来ない。
ただそのおぞましい光景を黙ってみているだけだった。

  がつがつ・・・むしゃむしゃ・・・

その人の声が止んだ後も何かを咀嚼する音が聞こえる。
「皆・・・逃げようっ!」
俺はそう言うと裏口を目指して走ろうとした。
だが俺の足は向きを変えただけで動かない。
裏口にも幾つもの瞳が睨んでいたからだ。
この旅館は・・・囲まれている。
「ど、ど、どうしよう・・・凪ちゃんっ」
縋るように俺を見る紅音。
そして真白ちゃん達も不安そうな顔で俺を見ている。
だが街の人達はロビーには入ってこないようだった。
なぜ・・・?
するとそんな人並みをかき分けるように人が歩いてくる。
誰も街の人間はその男を襲ったりはしなかった。
葉月の顔つきが変わってる。
まさか・・・!
「アスモデウス・・・悪魔だ」
そう葉月・・・イヴは静かに言った。
男はゆっくりとロビーのドアを開けると、
それ以上入ってこないで俺達に言う。
ごつい体格をした五分刈りの男だった。
まるでプロレスラーみたいな奴だ。
「皆さん、ご機嫌いかがかな?
 最高のステージを用意させて貰ったよ。
 この街の噂・・・この旅館の主人ならご存じかと思うが」
旅館の老夫婦達は何かに気付いたようだった。
愕然とした顔をして俯いてしまう。
「食人鬼。いわゆるグールという奴を知ってるか?
 この街にはそれを封印した神社というのがあってね。
 まあ封印を解いたくらいじゃ目覚めはしないんだが、
 俺がサービスでその魂魄を街中にバラまいた。
 結果はお前らが今目にしてる通りだよ。
 こいつら全員、もう人を食いたくて堪らないそうだぜ」
俺はその話で思い出した。
今日の朝に紅音が倒した祭壇。
あれに食人鬼がどうのって書いてあった気がする。
まさかあれが封印だったのか?
「まあ、外から見てるように俺が命令したんだが・・・。
 腹が減って仕方ないらしいんだ。解るか?」
「凪・・・何言ってるの、あいつ」
紫齊はまだ半信半疑で俺にそう聞く。
だが真白ちゃんも紅音も気付いていた。
奴が悪魔であるって言う事に・・・。
「さて、女は犯して喰うのが一番美味いそうだが・・・
 お前達の中に処女は何人いる?
 あくまで親切だが・・・あの人数にヤられたら、
 処女なんかはショックで死んじまうかもな」
そして男はゆっくりと外へと出ていく。
まだ外の食人鬼達に動きはない。
どうやら俺達が逃げる道は・・・上しかないようだ。
「皆、上に逃げるんだ!」
俺達も宿泊客達も、揃って二階への階段へ走る。
この旅館には上への階段は一つしかない。
不便だと思っていたが、こんな時に助けられるなんて・・・。
途中で旅館の主人が防火用シャッターを下ろした。
ゆっくりとシャッターが階段を封鎖し始める。
すると待ってましたと言うように食人鬼達は向かってきた。
歩いて来るという期待はあっさり破られる。
物凄いスピードで走ってきたのだ。
その走り方はまるでエリマキトカゲだった。
肩を前に突きだして前方に倒れ込むように走ってくる。
それが列も無く物凄い数で眼前に広がっていた。
ギリギリで防火用シャッターが降りて、
俺達はひとまず食人鬼達から逃れる。
だがガリガリという音が向こう側からしていた。
まさか・・・食い破ろうとしてるのか?
「急いで上に逃げなきゃ・・・」
「凪ちゃん!」
ゆりきさんが俺の服の裾を掴んで叫び声をあげる。
その表情は今までになく切迫していた。
「ど、どうしたんですか?」
「甍ちゃんが・・・妹がいないのっ」
「え?」
「・・・もしかしたら、一階に・・・」
そんな馬鹿な・・・!
一階にはもう何十人という食人鬼であふれかえってる。
あの子がその中に取り残されたっていうのか!?
「シャッターを開けて! 私が・・・助けに行く!」
「駄目だ、ゆりきさん!」
今シャッターを開けたら皆が餌食になってしまう。
それだけは俺には出来なかった。
甍ちゃんを見捨てるワケじゃないけど・・・
けど、紅音達を危険な目に遭わせるわけにはいかないんだ。
俺はゆりきさんの手を引くと出来るだけ優しく言う。
「甍ちゃんなら大丈夫だよ。
 今は上に逃げよう、ゆりきさん」
「でも・・・」
ゆりきさんはシャッターの向こう側へと視線を送った。
その気持ちは痛い程に解る。
向こう側ではもしかしたら甍ちゃんが・・・。
「お願い・・・今は私を信じて」
俺はなんて白々しい事を言ってるんだろう。
甍ちゃんが大丈夫だなんて思ってないクセに。
自分たちが助かる為にあの子を犠牲にしようとしてる。
「凪ちゃん・・・わかった」
俯いたままでそういうゆりきさん。
納得してくれなくてもいい。
今は上へ逃げる事だけを考えるんだ。
ふと隣で佇んでいたイヴが俺に言う。
「凪・・・上へ逃げてどうする気だ?」
「・・・それは」
「解ってるはずだろう」
「・・・・・・」
確かに上へ逃げてもやがては追いつめられる。
でもこの状況を脱するにはどうすればいいんだ?
俺には逃げる以外の選択肢は浮かんでこなかった。
「まあいい、私が奴を倒す。だから・・・それまでは逃げよう。
 きっと奴は姿を現すはずだ」
「・・・イヴ」
なぜか俺から目線を逸らしてそう言うイヴ。
だが今はイヴを信じるしかない。
「解った。頼むよ」
背後では静かにガリガリという音が木霊していた。
それはまるで場にそぐわない蝉の音の様で気持ちが悪い。
その音を背に、俺達は急いで階段を上がっていった。

Chapter26へ続く