一階のロビーに人が集まっていた。
何事だろう・・・騒然としてる。
その人の中には紅音達もいた。
3人は俺達に気付くと走って飛びついてくる。
皆、泣きそうな顔をしていた。
「一体何があったの?」
「な、凪ちゃんっ! あれ・・・」
紅音が指差す方を見るとそこには従業員の一人が倒れている。
俺はそれに近づくと紫齊の足を止めた。
「紫齊は、見ない方がいいかも」
「え?」
紫齊を紅音達の所で待たせると俺はその人に近づく。
首元からおびただしい量の血が出ていた。
周りの人達はそれを見て固まってる。
首筋に噛み跡が残っていた。
誰かが首筋に思い切り噛み付いたのか?
血管が外に飛び出していて気持ち悪い。
骨も見えていて、その部分は歯形がはっきり残っていた。
勿論もう生きてはいない。
「でもコレは一体・・・?」
その瞬間――――――――――――。
誰かの叫び声と共に皆が入り口のドアを凝視する。
不気味な黒い影。
幾つものそれはゆらゆらとこっちを見ていた。
それは人だった。
それも数十人という数の人が旅館の入り口で佇んでる。
暗闇に映る無数の瞳。
全てが無感情で不気味な雰囲気。
「この街の人だ・・・」
そう従業員は呟くと入り口へと歩いていった。
何か嫌な予感がする。
入り口の自動ドアを開けちゃいけないような・・・予感。
だってその人達の目は常人の目つきじゃない。
なにかに取り憑かれたような・・・。
自動ドアを開けて従業員の人が街の人達に何かを話し始める。
多分、この死体の説明でもしてるんだろう。
「あの・・・?」
誰もなんの反応もしていない。
その従業員の話を聞いていないようだった。
その時、ふとその人並みが揺れる。
何人かがその話している従業員の手を引っ張る。
引っ張ってどんどん奥へと押しやっていく。
「あ、あんたら何を・・・」
誰かの顔がその従業員に近づいていった。
それに続いて何人もが同じように顔を近づける。
「いぎゃぁああああっ!!」
顔を近づけたのは食べる為・・・だ。
咀嚼する音が聞こえながらその男の断末魔が響く。
旅館にいる誰もが何も出来ない。
ただそのおぞましい光景を黙ってみているだけだった。
がつがつ・・・むしゃむしゃ・・・
その人の声が止んだ後も何かを咀嚼する音が聞こえる。
「皆・・・逃げようっ!」
俺はそう言うと裏口を目指して走ろうとした。
だが俺の足は向きを変えただけで動かない。
裏口にも幾つもの瞳が睨んでいたからだ。
この旅館は・・・囲まれている。
「ど、ど、どうしよう・・・凪ちゃんっ」
縋るように俺を見る紅音。
そして真白ちゃん達も不安そうな顔で俺を見ている。
だが街の人達はロビーには入ってこないようだった。
なぜ・・・?
するとそんな人並みをかき分けるように人が歩いてくる。
誰も街の人間はその男を襲ったりはしなかった。
葉月の顔つきが変わってる。
まさか・・・!
「アスモデウス・・・悪魔だ」
そう葉月・・・イヴは静かに言った。
男はゆっくりとロビーのドアを開けると、
それ以上入ってこないで俺達に言う。
ごつい体格をした五分刈りの男だった。
まるでプロレスラーみたいな奴だ。
「皆さん、ご機嫌いかがかな?
最高のステージを用意させて貰ったよ。
この街の噂・・・この旅館の主人ならご存じかと思うが」
旅館の老夫婦達は何かに気付いたようだった。
愕然とした顔をして俯いてしまう。
「食人鬼。いわゆるグールという奴を知ってるか?
この街にはそれを封印した神社というのがあってね。
まあ封印を解いたくらいじゃ目覚めはしないんだが、
俺がサービスでその魂魄を街中にバラまいた。
結果はお前らが今目にしてる通りだよ。
こいつら全員、もう人を食いたくて堪らないそうだぜ」
俺はその話で思い出した。
今日の朝に紅音が倒した祭壇。
あれに食人鬼がどうのって書いてあった気がする。
まさかあれが封印だったのか?
「まあ、外から見てるように俺が命令したんだが・・・。
腹が減って仕方ないらしいんだ。解るか?」
「凪・・・何言ってるの、あいつ」
紫齊はまだ半信半疑で俺にそう聞く。
だが真白ちゃんも紅音も気付いていた。
奴が悪魔であるって言う事に・・・。
「さて、女は犯して喰うのが一番美味いそうだが・・・
お前達の中に処女は何人いる?
あくまで親切だが・・・あの人数にヤられたら、
処女なんかはショックで死んじまうかもな」
そして男はゆっくりと外へと出ていく。
まだ外の食人鬼達に動きはない。
どうやら俺達が逃げる道は・・・上しかないようだ。
「皆、上に逃げるんだ!」
俺達も宿泊客達も、揃って二階への階段へ走る。
この旅館には上への階段は一つしかない。
不便だと思っていたが、こんな時に助けられるなんて・・・。
途中で旅館の主人が防火用シャッターを下ろした。
ゆっくりとシャッターが階段を封鎖し始める。
すると待ってましたと言うように食人鬼達は向かってきた。
歩いて来るという期待はあっさり破られる。
物凄いスピードで走ってきたのだ。
その走り方はまるでエリマキトカゲだった。
肩を前に突きだして前方に倒れ込むように走ってくる。
それが列も無く物凄い数で眼前に広がっていた。
ギリギリで防火用シャッターが降りて、
俺達はひとまず食人鬼達から逃れる。
だがガリガリという音が向こう側からしていた。
まさか・・・食い破ろうとしてるのか?
「急いで上に逃げなきゃ・・・」
「凪ちゃん!」
ゆりきさんが俺の服の裾を掴んで叫び声をあげる。
その表情は今までになく切迫していた。
「ど、どうしたんですか?」
「甍ちゃんが・・・妹がいないのっ」
「え?」
「・・・もしかしたら、一階に・・・」
そんな馬鹿な・・・!
一階にはもう何十人という食人鬼であふれかえってる。
あの子がその中に取り残されたっていうのか!?
「シャッターを開けて! 私が・・・助けに行く!」
「駄目だ、ゆりきさん!」
今シャッターを開けたら皆が餌食になってしまう。
それだけは俺には出来なかった。
甍ちゃんを見捨てるワケじゃないけど・・・
けど、紅音達を危険な目に遭わせるわけにはいかないんだ。
俺はゆりきさんの手を引くと出来るだけ優しく言う。
「甍ちゃんなら大丈夫だよ。
今は上に逃げよう、ゆりきさん」
「でも・・・」
ゆりきさんはシャッターの向こう側へと視線を送った。
その気持ちは痛い程に解る。
向こう側ではもしかしたら甍ちゃんが・・・。
「お願い・・・今は私を信じて」
俺はなんて白々しい事を言ってるんだろう。
甍ちゃんが大丈夫だなんて思ってないクセに。
自分たちが助かる為にあの子を犠牲にしようとしてる。
「凪ちゃん・・・わかった」
俯いたままでそういうゆりきさん。
納得してくれなくてもいい。
今は上へ逃げる事だけを考えるんだ。
ふと隣で佇んでいたイヴが俺に言う。
「凪・・・上へ逃げてどうする気だ?」
「・・・それは」
「解ってるはずだろう」
「・・・・・・」
確かに上へ逃げてもやがては追いつめられる。
でもこの状況を脱するにはどうすればいいんだ?
俺には逃げる以外の選択肢は浮かんでこなかった。
「まあいい、私が奴を倒す。だから・・・それまでは逃げよう。
きっと奴は姿を現すはずだ」
「・・・イヴ」
なぜか俺から目線を逸らしてそう言うイヴ。
だが今はイヴを信じるしかない。
「解った。頼むよ」
背後では静かにガリガリという音が木霊していた。
それはまるで場にそぐわない蝉の音の様で気持ちが悪い。
その音を背に、俺達は急いで階段を上がっていった。