俺達は逃げ場をどんどん狭めていた。
旅館を上に逃げたとしても助かる可能性なんてあるのか?
皆は揃って不安そうな顔をしている。
目の前で起こった人を食う凄惨な光景。
しかも圧倒的な数の食人鬼達、そして悪魔。
上へ逃げるのが正しいのか、それともこの階に留まるべきなのか。
全てが混乱へと向かっていた。
そんな中で、イヴは冷静に上へと歩き出している。
「どうした凪・・・この階に留まる気か?」
「本当に上へ逃げるべきかな・・・って思ってたのよ」
俺はそう言った後、葉月に近づいて話した。
「イヴの力で街の人達を元に戻せないの?」
「殺す以外に方法はない。
あれは恐らくインナーデビルと呼ばれる、
憑き物のような現象だ。
そして内に潜んだ悪魔はヒトの魂に同化しているのだ。
つまり私の炎で悪魔を殺せば・・・」
「その人の魂も浄化してしまうって事?」
「その通りだ。それに浄化は何人もいっぺんには出来ない。
あの人数にそんな事をやっていては、
まず葉月の身体が持たないだろう」
浄化される魂に関して何も言わないのはイヴらしい。
だが結果として俺達が取る方法は無いって事か?
「私達が生きて帰る方法はたった一つ。
アスモデウスを倒し、街の人間の魂を解放する事だ」
アスモデウス・・・。
さっきのプロレスラーみたいなゴツイ奴か。
なんか絶対に闘いたくない顔つきしてたなぁ。
まあ悪魔の場合、体格はあまり関係ないだろう。
どっちにしろ俺が敵う相手じゃないよな。
と、何人かの男達が四階への階段を昇っていなかった。
紅音がそれに気付いて声を掛ける。
「あのぉ、どうかしたんですかっ?」
「うっ、うえに逃げたからってどうなるんだよっ!
俺らはまだ死にたくねえっ! 死にたくねぇんだ!」
そう一人が叫ぶと男達は廊下を走り出していった。
俺達はまだ事態を良く飲み込めていなかったのかもしれない。
本当の意味で、どれだけ切迫しているのか気付くべきだった。
ガリガリ・・・ベギィッ!
二階の防火用シャッターが破壊されたようだ。
下にかけずり回るような音がしている。
「皆、急ぐんだっ!」
老夫婦の声で皆は階段を走り始める。
そして三階の防火用シャッターを降ろしていった。
一人の食人鬼がそれを見て物凄いスピードで襲ってくる。
しまった・・・間に合わない!
しかしそこで紫齊は蹴りを入れて食人鬼をけん制した。
シャッターに足を挟む事もなく、
紫齊はなんとかこっち側に逃れる。
「紫齊・・・やるね」
「良く解らないんだけどさ、あいつらはいったい何なの?」
訝しんだ顔をして紫齊は俺を見た。
何と言われても俺にも良く解らない。
そういえばさっきアスモデウスが話してた時、
爺さん達が驚いてたみたいだったな。
「あの、お二人は何かご存じなんですか?
さっきの奴は食人鬼って言ってたけど」
俺はなるべく丁重に早口でそう聞く。
あまり聞いている時間も無いのだが・・・。
老夫婦はため息をつきながら俺達を見る。
「何百年前だったかは儂も覚えてないんだが、
戦国時代に織田信長が攻めた街の一つがここなんだよ。
兵糧責めにあったこの街は飢えに悶え苦しんだそうだ。
そしていつしか耐えきれずヒトを食べるようになった。
男は女性を無理矢理手込めにしてから少しずつ食べる。
子を成せばその子も喰われたそうでな、
酷い時は腹の中にいる内に喰われたりもしたらしい」
聞けばそれは吐き気のする話ではあった。
でも現実にそれは起こった事なのだろう。
胎児のまま食べられる子供。
それを喰う大人。
考えられない・・・考えたくもない世界だ。
「まさか、その魂があの人達に乗り移ってるって言うの?」
紫齊のその言葉に反論する声はない。
それが現在自分たちに降りかかろうとしているのだ。
どんなに馬鹿げていても目の前で起こっている。
信じなければ説明が付かないのだ。
そこで一人の宿泊客が思い出したように喋り出す。
「そういえばこの旅館って、
昔お城が建ってたって聞いたけどまさか・・・」
「そう。ここが攻め落とされた城の跡地じゃ。
人ならぬ者の惨劇が起こるなら・・・
こんなにおあつらえ向きな場所はないわな」
お婆さんは苦笑いをしながらそう言った。
じゃあこの旅館に来た日、俺が聞いたあの声って・・・。
「ぎゃあああああああっ!」
男の悲鳴が聞こえる。
それも数人の悲鳴。
・・・さっき二階に残った男達が見つかったのだろうか。
もう後戻りは出来ない。
最上階へと逃げ続けるしかないんだ。
その時、数人の男女がひそひそ何かを話してる事に
俺はもう少しだけ興味を持つべきだったのかもしれない。
しかし隣の紫齊が急にぎゅっと抱きついてきた。
それで俺の頭の中の考えはあらかた吹っ飛んでしまう。
「ど、ど、どうしたの?」
「あんまり・・・こういう話って好きくないんだよね」
「わ、私もだよぉ〜っ」
紅音も俺に抱きついてきた。
身動きが取れない。
「ちょっと落ち着きなさいってば。必ず助かるから」
「おい、助かるだって?」
ひそひそ話していた男の一人が俺に突っかかってくる。
その顔には焦りが浮かんでいた。
「適当な事言ってんじゃねえぞ!
俺らはこのままじゃ喰い殺されるのがオチだろうが!」
そう言うとそこにいた男女は走って階段を昇り始める。
焦ったってどうしようもないじゃないか。
こういう時にバラバラに動くのは危険だ。
だがそんな風に思いながら俺はふとある事を考える。
・・・まさか。
上の方でガラガラという音が聞こえた。
何かが降りている様な・・・。
「あいつらっ・・・」
俺達は急いで階段を駆け上がるがすでに遅い。
四階へと通じるシャッターはすでに降りきっていた。
ガンガンとシャッターを叩いてみる。
無駄なのは解っていたが他にどうする事も出来なかった。
「馬鹿な・・・なんで、こんな事・・・」
向こう側から女の声がする。
「あんた可愛いんだからさ、あいつらの気を引いてよ。
その間に私達は逃げてみせるから」
俺達を、犠牲にするつもりなのか?
シャッターの向こう側で足音がしていたが、
しばらくするとそれもしなくなってしまう。
「どっ、ちょっと開けてよ! ねぇ!」
向こう側から反応はなかった。
嘘だろ・・・どうしてこんな事が出来るんだよっ!
同じ人間同士なのに、どうして・・・!
「あ・・・」
そこで俺は甍ちゃんの事を思い出した。
俺だって同じ様な事をしてるんじゃないか。
彼女を犠牲にして、俺達は逃げてるんだろ・・・。
振り向くと紫齊が一人立ちつくしていた。
「・・・凪。私達、あいつらに喰われて死ぬの?」
その表情は絶望に満ちあふれている。
俺も多分、似た様な表情なのかもな。
すぐに皆も三階にやってきて絶望した。
逃げ道は塞がれたのだ。
ふとイヴが俺達の方に歩いてくる。
「凪、この階には4つ部屋があるだろう。隠れるぞ」
「葉月・・・そんなコトしたって無駄だよ、
死ぬのが伸びるだけじゃん・・・」
紫齊はそう言って涙を流した。
死ぬ寸前にもなれば当然かもしれない。
残された人達も自然と絶望へと顔色を変えた。
真白ちゃんも紅音も、紫齊の涙を見て同じく涙ぐんでしまう。
そんな時、イヴが紫齊の頬を思い切りはたいた。
「泣き言は止めろ。生きる気はあるんだろう?
最後まで足掻くんだ・・・例え望みが薄くても」
「・・・は、づき?」
「可能性はいつだってゼロじゃない。
神は私達をきっと見ているのだからな・・・」
葉月の様子に紅音と紫齊は面食らったようだった。
それにしてもイヴってこんな事を言えるんだな。
まるで人間みたいに人を励ましたりして・・・。
イヴが人を励ます所なんて初めて見た。
でもそれは何故か・・・凄く自然に映っていた。
どうしてだか解らないけど、
それが凄くイヴらしいと思えたんだ。
「凪、私達の部屋へ行くぞ」
そういうとすたすたとイヴは廊下を歩いていく。
皆はそれにつられる様に後を付いていった。