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銀色の花嫁
著作 早坂由紀夫
Chapter34
「ホワイト・エンゲージ」
9月03日(水) AM08:04 雨
寮内自室
水曜日がやってきた。
目を覚ましても状況は変わってない。
やっぱり真白ちゃんが抱きついたままだ。
それも殆ど裸に近い格好で。
俺はどうにか彼女を起こそうと頑張ってみた。
「真白ちゃん、起きて。朝だよっ」
時間は8時を回っていた。
真白ちゃんをなんとか引きはがすと俺は着替え始める。
そしてとりあえず紅音に声をかけた。
「くお〜んっ! 朝だよ〜」
ごそごそ動いているのでじきに目覚めるだろう。
その隙に真白ちゃんの身体を揺すって起こそうとした。
「真白ちゃん、朝だってば。起きて」
「ふぇ・・・あれ・・・凪、さん?」
がばっと身体を起こすと、
真白ちゃんは自分の身体を見つめる。
その後で遠慮がちに俺に聞いてきた。
「え〜と・・・昨日の夜って、私・・・何かしました?」
「まあ、気にしないで。紅音も起きてくるから」
そう言うと真白ちゃんは急いで着替え始める。
俺が今8時だと言う事を告げると、
さらにスピードが上がった。
でもそれを淡々と見ていられる俺って・・・。
「うわぁ〜凪さんっ!? ジロジロ見ないでくださいよぉっ」
そう言われたので俺はそっぽを向いて、
紅音にもう一度声を掛ける事にした。
ふふっ・・・俺も成長したみたいだな。
なんてアホな事を考えながら声を張り上げる。
「紅音っ、いい加減起きなよ〜っ」
「う〜ん・・・だって凪ちゃんが目隠しするからぁ〜」
ワケの解らない言い訳をしやがる。
叩き起こしてやろうかと思ったが、
意外にちゃんと紅音は起きてきた。
「おはよ〜凪ちゃん。後・・・真白ちゃん?」
「あ〜と、ね。昨日、泊まりにきたのよ」
「そ、そうなんです。あは、は〜」
苦しい言い訳ではある。
だが真白ちゃんが俺を夜這いしに来たとも言えなかった。
「え〜? ずるいよぉ〜、二人で遊んでたの?」
「ま、まあ・・・ね〜」
「は・・・はい〜」
なんとか真白ちゃんと口裏を合わせて誤魔化す。
そんな風に話してたおかげで、
紅音の目はぱっちりと覚めてくれていた。
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9月03日(水) PM13:03 雨
1−3教室内
今日も相変わらず雨。
鬱屈した雰囲気が学園を覆っている。
俺達は昨日と同じく教室で弁当を広げていた。
だが一つだけいつもと違う事がある。
今日は7人という大所帯なのだ。
いつもの五人に加えて・・・
「たまには生徒と食事するのも良い物です」
黒澤兄だ。
「兄様に悪い虫が付かない様に仕方有りませんわ」
おまけに黒澤妹。
二人して違和感なく俺達の食事に溶け込んでいる。
ただ、美玖ちゃんは黒澤にべったりとくっついていた。
軽くウェーブのかかった髪を揺らしながら、
黒澤の腕を組んでにこにこする美玖ちゃん。
「美玖・・・くっつきすぎではありませんか?」
「兄妹たるもの、これくらいが理想形ですわ」
「・・・そうですか」
眼鏡の位置を直しながら困った顔をする黒澤。
とても劇について語る時の美玖ちゃんとはかけ離れてる。
でも、演技の時よりも自然な笑顔だった。
「美玖ちゃんって、黒澤先生が好きなんだね〜」
紅音がそんな風に聞くと彼女は得意げに言う。
「お兄様ですもの。兄妹って誰よりも大切な存在でしょう?」
「・・・ふむ。それは一理あるかもしれませんね」
しげしげと黒澤が肯いた。
兄妹か・・・俺にはそんな奴は居ない。
居るとしたら、ゆり姉ちゃんくらいかな。
そう考えるとなんとなく美玖ちゃんの気持ちも解る気がした。
まあ俺を目の敵にする理由は全く解らないが。
「そういえば高天原君、劇の方はどうです?」
「え? まあ順調なのかなぁ・・・」
「あらあらあらあら」
大げさにやれやれという顔をする美玖ちゃん。
「あの程度で順調なんて甘いんじゃなくて?
あなたの演技はまだ私の足下にも及ばなくてよ」
こんな言い方をすると紫齊辺りが怒りそうだが、
全然そんな事はなかった。
多分、あまりにも芝居がかってるから呆れてるんだろう。
俺もそうなのだが。
「せめて真白の足を引っ張らないように気を付ける事ね」
放っておくと女王様の如く笑い出しそうだ。
ホーッホッホッホ、みたいな感じで。
「え〜? 真白ちゃんも劇に出るのっ?」
紅音が興味津々といった顔でそんな事を言う。
「あはは・・・まあ、その・・・脇役ですよ」
「何を言ってるの。私と同じヒロインじゃない。
胸を張るのよ、真白は演技上手いんだから」
美玖ちゃんの言葉は多少意外な物だった。
てっきり役のイメージだけで配役を決めてると思ったら、
ちゃんと個々の演技力も配慮してるんだな・・・。
つまり真白ちゃんの実力をちゃんと考慮した上って事だ。
「・・・凪はどうでもいいけど。
むしろ如月さんに代役頼みたいくらいだわ」
「え〜!? ほ、ほんと〜?」
目を輝かせて美玖ちゃんを見つめる紅音。
確かに紅音の演技は上手いけど・・・酷い。
俺も一応そこそこの実力はあるつもりなのに。
「如月さんって中学の時、演劇部だったんでしょ?」
「え、そうなの? 紅音」
「うんっ。凪ちゃんに言わなかったっけ?
中学生の時は二つ部活に入ってたの。
演劇部と悪魔同好会」
後者が部活ではないのは別として、その話は初耳だった。
道理で紅音は演技が上手いと思った・・・。
「中学生の時は浦島太郎の亀の役とかやったなぁ〜。
後ねぇ、桃太郎の桃の役とか」
全部、主役級の端役だな・・・。
しかも喋れない役ばっかし。
だが美玖ちゃんの反応は違った。
「まあっ。そんな高等な役ばかりこなしてきたの?
あなた・・・馬鹿そうな顔してやるわね・・・」
「えぇ? そ、それほどでもぉ〜」
紅音・・・お前そんなに誉められてないぞ。
しかし紅音は頭に手を当ててスマイル、スマイル。
やはり演技の事は俺には解らないな。
亀や桃の役がそんなに高等なんて事は知らなかった。
まあ、喋らないだけに難しいのかもしれない。
「じゃあ如月さんには樹の役でもやって貰おうかしら」
「・・・それって、幼稚園の学芸会みたい」
そんな風に言う紫齊の意見も良く解る。
シリアスな物語にそんなのが出てきたら、
俺だったら吹き出してしまうと思うな・・・。
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9月03日(水) PM18:00 雨
学園校舎・第二体育館
今日も前二日と同じく劇の練習だ。
だが今日は美玖ちゃんが居ない。
どうやら演劇部の方も色々あるらしかった。
仕方なく俺達は二人で練習を始める。
「そろそろ一通りのシーンをやった事になるね」
「そうですね、好きなシーンとかやりましょうか?」
「好きなシーン・・・無いなぁ」
この劇の内容は男としては甘すぎる。
まあ確かに良いシーンはあるが、
それがキスシーンだとはとても言えなかった。
「私、最後のシーンをやりたいんですけど・・・良いですか?」
そう言うと舞台袖から妙な物を拾ってくる。
それは花嫁用のヴェールだった。
銀色に輝くそれは本物のようにさえ見える。
最後のシーンってそう言えば・・・結婚式のシーン。
確かエピローグ的な感じのラストシーンだよな。
「綺麗ですよね〜。これ、本物みたい」
「うん。私もそう思った」
「・・・私じゃなくて俺です。演技しなきゃ、凪さんっ」
「ああ・・・そ、そうだね」
むしろ私と言う方が演技をしてるんだけどな。
なんか変な気分だが真白ちゃんの言う通りにしておこう。
俺達は舞台中央に客を見る様にして並んで立った。
彼女はちゃんと銀色のヴェールを纏っている。
ドレスはさすがに無いがそれを付けただけでも、
なんだかいつもとは別人に見える気がした。
「え〜と、なんだっけ。神父の役の人が・・・」
「汝は安らかなる時もすめらかなる時も、
この女性を愛し続ける事を誓いますか?」
俺が迷っているとそんな風に真白ちゃんが言う。
「すめらか」では無かった気がするけど、
神父の台詞に気を配っても仕方ない。
「はい、誓います」
「きゃっ」
なんか真白ちゃんが恥ずかしそうに顔を隠してる。
・・・これって演技だよな。
演技で結婚式やってるんだよ・・・な。
「えっと汝は、う〜ん・・・。
死が二人を分かつまで愛し続ける事を誓いますか?」
適当に繋げてみた。
とりあえず問題ないようで、真白ちゃんは首を縦に振る。
すると真白ちゃんはこっちを向く。
「じゃあ誓いのキスをっ」
そう言って目を閉じると真白ちゃんは顎を上げた。
その隠されたヴェールを取ると、彼女の顔が露わになる。
なんだかその表情からは緊張と気迫が見て取れた。
「・・・え〜と、じゃあキスしましたっ」
そうやって誤魔化してみる。
だが真白ちゃんは目を開けるとむすっとした顔をして、
もう一度目を閉じた。
「ちょ、ちょっと・・・まさか本気でするの?」
「そうです。当たり前じゃないですか。
一生に残るような・・・素敵なのをお願いしますね」
「な、な・・・!?」
真白ちゃんの様子がおかしい。
どう考えてもこんな事をするような子じゃなかった。
それに・・・昨日の悲痛な声。
俺は思わず訪ねていた。
「これが、君を助ける事に・・・なるのか?」
「え・・・?」
少し戸惑った様な顔をしたけど真白ちゃんは言う。
とびきりの、どこか遠くを見る様な微笑みで。
「はい。だから・・・最後までやり通してください」
「・・・わかった」
こうなったら腹をくくるしかないな。
真白ちゃんの肩にそっと触れると、
身体を少しずつ傾けていく。
まるで神聖な儀式のように。
そして厳かな事柄のように。
出来るだけ心を込めたキスをした。
「一体、何があったの?」
俺がそう訪ねると真白ちゃんは軽く俺に抱きついてくる。
「私、どうしても人間として生きていたい・・・。
だから・・・闘います。闘って人間として死にます」
「死ぬって、それどういう事っ!?」
「吸血鬼の仲間が私を狙ってるんです。
きっと勝てないと思いますけど・・・」
そこまで言うと真白ちゃんは俺の腕をすり抜けて、
舞台から走って飛び降りた。
少しよろけたけど怪我した様子はない。
そのまま俺に背を向けて真白ちゃんは言った。
「最初で最後の結婚式、凄く幸せでした。
わたしっ・・・これできっと幸せなまま死ねます・・・」
真白ちゃんは俺が駆け寄ろうとすると走り去ってしまう。
その後ろ姿は何故か俺の足を止めてしまっていた。
良く解らないけど彼女はこれから・・・
吸血鬼と闘って死のうとしているのか?
急いで追いかけなきゃ・・・!
だが足が動かなかった。
まさか・・・昨日みたいに俺の体の自由を奪ったのか?
焦っても身体は一歩も前へ進まない。
このままじゃ真白ちゃんは・・・!
そんな時、体育館へ人影が現れた。
「・・・美玖ちゃん?」
「まったく、遅れてきてみれば何してるのかしら。
真白を泣かせて・・・何か酷い事でも言ったんじゃなくて?」
「な、泣いてた・・・の?」
「そうよ。さっきすれ違ったら、
真白・・・凄い泣き顔してたわよ」
その時すでに俺を戒める透明な足かせは消えていた。
美玖ちゃんの制止を振り切って走り出す。
そう、真白ちゃんを止めなきゃ・・・!
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9月03日(水) PM19:23 雨
学園前・校門
一人きり。
辺りは真っ暗闇。月は雨雲で見えない。
明かりは学園の外をぽつりと照らす街灯だけ。
それは視覚の上での静寂にも思える。
私は校門に寄りかかって立っていた。
勿論、校門は閉まっている。
おまけに雨が容赦なく私を濡らしてるけど気にしない。
だって・・・凪さんがもし来てくれたら、
その方が心配してくれそうだもん。
・・・なんて、馬鹿なんだよなぁ私って。
最後まで希望を捨てない人なんだから。
私の中にある力はごく僅か。
互角に戦ってるフリだって出来ないかもしれない。
でも・・・大丈夫だよ。
凪さんからしてくれたキス。
演技でも二人で挙げた結婚式がある。
だから心はきっと負けない。
けれどそれは一刹那の間に吹き飛ばされてしまった。
学園の校舎側から歩いてくる人影。
鳥肌さえ立ってきてしまう。
力を解放すると校門の向こう側へ跳躍した。
つまり学園の外だ。
「ふん、その様子では私を受け入れる気は無いようだな」
「当たり前です。私には好きな人が居るんだから。
貴方にあげる物は何もありません」
「仕方ない。その頑なな態度を溶かす為、
優しく愛撫でもしてやるとするか」
丁寧な口調だけど言ってる事は気持ち悪かった。
好きでもない人に愛撫されたって、
気持ちよくも何ともないんだからねっ!
フィメールは不敵に笑いながら歩いてくる。
その気迫に飲み込まれたら動けなくなっちゃう。
・・・何か、しなきゃ。闘わ・・・なきゃ。
けれど意志とは裏腹に身体は動いてくれなかった。
それなのに身体は怖くてがたがたと震えてる。
「どうした? さっきの態度は何処に行ったんだね?」
紫色の髪をかき上げながら微笑むフィメール。
そのまま彼との距離は1m程になってしまった。
どうして・・・私は、何もしないの?
「恐怖のスパイスを加えてお前を抱くのも良い。
もう意志など尊重はせんぞ」
「うっ・・・ふぅっ・・・」
恐怖に引きつって声が出ていた。
それくらい強烈な死のイメージを植え付けられてる。
さらに近づいてこようとするフィメール。
お互いを阻む校門の格子を片手で折り曲げた。
そしてこちら側へと向かってくる。
「うっ・・・わぁああっ」
私は思いきり道を駆けだした。
一度走り出すともう振り返る事も出来ない。
あまりの恐怖。圧倒的な気迫。
閑静な住宅街が目の前に広がっていた。
商店街の方とは反対にどんどん静かになっていく。
雨が体温を奪う中、私はひたすらに走る。
路地裏の様な辺りの景色。
もう人の気配すら何処にもなかった。
私・・・どこまで逃げ切れるんだろう。
やっぱり凪さんの側にいれば良かった。
怖いよ・・・怖くて押しつぶされそうだよ。
闘うなんて私には無理だった。
逃げるのが精一杯・・・。
ふと振り返ってみるとフィメールの姿はない。
けど不審に思ってみても始まらない事は分かっていた。
どこかへ逃げるんだ・・・少しでも、遠くへ。
皮肉にもそれは、凪さんからも
遠ざかる事になるのだけれど・・・。
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9月03日(水) PM19:18 雨
寮内エントランス一階
真白ちゃんを探してみたが彼女の部屋には居ない。
凄く嫌な予感がしていた。
あの子は自分の事は自分で片付けようとする節がある。
頼むから先走ったりしないでくれよ・・・。
大体にしてこっちは状況すら解ってないんだ。
解ってるのは真白ちゃんが、
彼女を狙う吸血鬼と闘おうとしてる事。
そしてその闘いに真白ちゃんが勝てる見込みは少ない事。
それだけだ。
どうする・・・どこへ行けばいい?
「どうかしましたか?」
迷ってる俺の前に現れたのは、
階段から下りてきた黒澤だった。
一応この人にも彼女の事を聞いてみるか・・・。
「あの、神無蔵さんを見かけませんでしたか?」
「いえ・・・見てませんねぇ」
「そうですか・・・」
軽く会釈をして他を当たろうとした時だった。
急に黒澤が俺の肩を掴んでくる。
「まあ、何か知りませんが急いては事を仕損じますよ」
「えぁ・・・はい」
「そう言えば学園の校門に人影を見ましたね。
彼女かは解りませんが・・・」
「・・・校門。でも行っても良いんですか?」
何があっても行くつもりではある。
だが黒澤が自分から話す真意がわからなかった。
「そんな事を教師に聞いてはいけません。
私は良いとは言っていませんよ。
ただ、勝手に抜け出すのは止められませんけどね」
「はぁ・・・わかりました」
黒澤らしい、憎い事を言ってくれる。
俺は急いで寮の玄関へと走った。
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9月03日(水) PM19:21 雨
寮内エントランス一階
凪が出た後すぐ、エントランスにイヴが現れた。
彼女も学園の異変に気付いていたのだが、
どうにも敵を特定できずにいた。
黒澤に目もくれず走り去ろうとするイヴ。
だが手を掴まれ止められてしまった。
「なんですか?」
一応イヴは葉月らしい言葉遣いで話す。
「星翔君でしたね。君も・・・ほとほと困った子だ。
廊下を走ってはいけませんよ」
「・・・はぁ。すみません」
言葉だけの詫びを入れるとまた歩き出そうとする。
「ふむ。君に一つアドバイスをしてあげましょう」
「アドバイス・・・ですか」
「校門に行ってみなさい。面白い事が解るでしょう」
イヴはその言葉に何かを感じていた。
黒澤という男の確信的な笑みも一因していたが、
その言葉は信じる価値があるように思えたのだ。
走り去っていくイヴ。
黒澤が注意した事を全然守ってはいなかった。
「まあ頑張ってください。幸せを掴む為に、ね」
そう一人語ちると黒澤は二階への階段を上がっていく。
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9月03日(水) PM19:27 雨
学園前・校門
俺は傘を手に走って校門に来ていた。
この嫌な予感には理由がある。
多分、俺は真白ちゃんが酷い目に
会うんじゃないかって思ってるんだ。
そんなはず無い。
そんな事、絶対にさせやしない・・・!
だが門の格子を見た時、
俺は背筋が凍り付くような気がした。
ひん曲げられた門の格子。
まさか、まさか学園を出てどこかへ・・・?
その時背後に気配を感じて振り返る。
「イヴ?」
「凪・・・お前も来ていたのか。
後は私に任せて寮に戻っていろ」
「・・・それは出来ないよ。真白ちゃんを探すのを手伝う」
「はぁ・・・お前は私の言う事を聞いた試しがないな」
そう言って苦く笑うイヴ。
ここに留まってるわけにもいかないので、
俺達は手分けして真白ちゃんを探す事にした。
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9月03日(水) PM19:31 雨
市街・路地裏
「はっはっ・・・」
息を切らしながらもなんとか走れてる。
けれどマラソンを走ってるような感覚とは違った。
もっと切迫してる。
そういえば中学校の頃は、
毎年10月にはマラソンがあったなぁ・・・。
友達と話しながら走ったせいですぐに息を切らしてたっけ。
テニス部だったせいで走り込んだ記憶がある。
私ってすぐバテちゃうんだよね。
根性が無いって顧問の先生に何度言われたか。
大体女は度胸だっていうけど、度胸も根性も持ってない。
結局・・・私って弱いんだ。
凪さんに対してだって吸血鬼としてじゃなきゃ、
はっきりと気持ちを表に出す事も出来ないし。
まるでお酒を飲まなきゃ強気になれないサラリーマンだ。
情けないよ、ホントあちゃ〜って感じ・・・。
・・・・・・
そんな風に茶化して考えてるのに、
頭からは恐怖が消えてくれなかった。
油断したら泣き出してしまいそうなくらいに怖い。
怖いからわざわざ茶化して考えちゃうのかな・・・。
私、命を賭して闘う事さえ出来そうにないよ。
きっと土壇場になったとしたら、
処女を奪われる方が殺されるよりマシだと思ってしまう。
フィメールとの子供を産む方が死ぬより良いと思ってしまう。
そんな気高くない、プライドのない私。
強くあろうと思うだけで実践はしない私。
けど私は無意識に唇をそっと指でなぞっていた。
「凪さん・・・」
その消えてしまいそうな脳裏に記憶してる感触。
それだけが私に気高さを与えてくれる。
プライドを持たせてくれてる。
だからもう少し走れるよ・・・きっと。
けどその時、目の前にコウモリが飛んできた。
「きゃあっ!?」
私に向かってきたものだから思わずしゃがみ込んでしまう。
少しして恐る恐る立ち上がってみた。
すると辺りを異常な数のコウモリが取り囲んでいる。
一見すると空が黒くなったかと勘違いするくらいの数。
彼らは雨だって言うのに全くそれを気に留めずに佇んでいた。
これは、フィメールの使い魔達・・・?
そして背後に気配を感じて振り向いた。
振り向く直前にはそれが誰なのか解っていた。
「情けないな・・・数少ない同族とはいえ、
躊躇せず殺してしまいたくなる」
「よ、余計なお世話ですっ・・・」
「まあ人であれば可愛らしさに繋がるのだろうがな。
吸血鬼に必要な美貌は全く足りないぞ」
ふざけた事を言っている割に、彼には全く隙がない。
迂闊に攻撃でも仕掛けよう物なら、
あっさりと殺されてしまいそうだった。
「丁度良い、場所には問題ないだろう。
ここで早速交配を行うとするか」
「・・・え、ま、マジですか?」
「悪魔と違ってすぐに快感を与える事は出来んが、
その分少しは優しくしてやろう」
なっ・・・何を言ってるんだろ、この人。
幾らなんでも路上で犯されるなんて嫌だよ・・・。
路上じゃなくても絶対やだけど。
でもそんな私の考えを知ってか知らずか、
悠然とこっちへ歩いてくるフィメール。
「好きでも無い人にされるなんて嫌ですっ!」
「ふっ・・・そんな事をさっきも言っていたな。
それなら手っ取り早くお前を奪う方法があったぞ」
「・・・え?」
フィメールの姿が消えたかと思うと、
次の瞬間目の前に現れた彼の手が私の頭を掴んだ。
そして頭に電流のような物が駆け抜けていく。
その手を掴もうとしたけど力が入らなかった。
「あうぅ・・・うぁあっ・・・!」
視界がぼ〜っとする。
まともに視点を合わせられない。
何を・・・されたんだろう、私。
まさか意識を失わせて無理矢理する気とか?
そんなとんでもなく嫌な考えが頭をよぎる。
けれど視界は少しずつ平常に戻っていった。
どういう・・・事?
「茶番は滑稽である程良いスパイスになるだろう」
そんな風にフィメールの声がした気がして、
私は辺りを見回してみる。
どこにもフィメールの姿はなくなっていた。
けどそこには予想もしていなかった人がいる。
「大丈夫? 真白ちゃんっ」
「な、な・・・凪さん!?」
目の前には長い綺麗な髪をしていて背の高くて、
おまけに女の子みたいな顔をした男の人がいた。
少しの間しか離れていないはずだった。
それなのに数年間会ってないみたいな感覚。
凄く懐かしくて・・・現実感のある笑みを浮かべてる。
「私を・・・探しにきてくれたんです、か?」
「当たり前だよっ! もう心配させないでくれ!」
そう言って凪さんは私をいきなり抱きしめる。
「え、あの・・・凪、さん?」
女言葉も使わずに強く私を抱きしめていた。
私は急すぎて呆然としてしまう。
だって、なんか変だ。
凪さんがこんな事するはずない。
変だよこれって・・・。
「俺、気付いたんだ。真白ちゃんが居なくなって。
その、なんて言うか・・・大切だって気付いたんだ」
「ええぇっ!?」
そそそそそ、それって・・・?
私がずっと思い描いていた凪さんの行動。
絶対に凪さんがしないはずの抱擁。
それに私が誤解しちゃうような言葉。
嘘でも私・・・本気にしちゃうよ。
でもそんな私の考えをうち破るように凪さんは言った。
「解るよね。俺は君が好きだ」
「そ、そそ・・・そんなの嘘ですよぉっ!
だって紅音さんが居るし、葉月さんだって・・・」
「紅音も葉月もどうだっていい。
俺は真白ちゃんがいればそれでいい」
「え・・・?」
そんな事言うはずない。
凪さんがそんな事言うはず・・・。
「んんっ・・・!?」
私が疑問を抱くより早く、凪さんは私にキスをする。
それも優しくて温かいキス。
けれど体育館の時のキスが消えてしまう気がした。
そして一緒に考えていた疑問も吹き飛ばされてしまった。
「真白ちゃんが誰かの物になるくらいなら、
俺が奪ってしまいたい・・・良いよな」
「・・・え、凪・・・さん?」
凪さんは首筋に軽く触れるようにキスしてくる。
くすぐったい感じのする感覚。
嫌じゃないはず、構わないはずなのに変だ。
なにか間違えてるのかな・・・わたし。
そっと凪さんが服を脱がそうとしてきた。
「あの、ちょっと・・・ここ街中ですよっ?」
まあ正確には路地裏だけど、
それでも恥ずかしいのに変わりはないよ。
「関係ない。やましい事なんかじゃないんだから」
「や、やましい事ですよぅ・・・」
けど相手が凪さんじゃそれ以上文句も言えない。
ただ・・・良いのかな。
「凪さん、私としたら・・・吸血鬼になっちゃいますよ?」
「構わないよ。構うもんか」
そんな事を真剣な顔で言われたらどうしようもなかった。
吸血鬼になっても構わないなんて・・・。
言われてみたかった言葉。
凪さんが自分の全てを認めてくれた様な高揚感。
そして私はされるがまま壁に寄りかかる。
「ホントに・・・良いんですか?」
それには答えずに凪さんは、
私のYシャツをはだけさせていく。
ど、どうしよう・・・緊張してる。
フィメールが何処にいるか解らないのにこんなコトして・・・。
それになんだかんだ言っても初めてだし。
でも凪さんと一緒に居ると安心できる。
ワケの解らない焦燥感なんてどうでもいいよね。
あぁ・・・もう、どうなっても・・・いいや。
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9月03日(水) PM19:32 雨
市街・結城通り
俺とイヴは少しして合流していた。
さっきから嫌な予感が止まらない。
「イヴ、真白ちゃんに一体何があったの?」
「・・・全ては吸血鬼という種族の問題だよ。
彼らは少しずつ絶滅へと追いやられているのだ。
人間や私、そして天使によってな。
千年は生きると言われている吸血鬼も、
数が減っては強気でもいられない。
奴らにとって今は種の存続が重要なのだ。
そこで数少ない女性の吸血鬼、真白が選ばれた。
恐らく狙っているのは紫の貴公子と呼ばれる吸血鬼、
ヴァン=ラグリア=フィメールだ」
「真白ちゃんが・・・でもどうして今になって?」
「解らない。吸血鬼の血は完全に消えたはずだが・・・。
或いは・・・あの時、何らかの原因で
私の炎で焼けないように真白が守られていたのかもな。
なんにせよ私のミスだ」
・・・そうか。
真白ちゃんの身体から血が無くなったんじゃなくて、
俺の血か何かで彼女の身体が守られてたとも考えられるんだ。
でも、そう考えるとやっぱり・・・俺は普通の人間じゃないのか?
その時にふと一つの言葉が思い浮かんだ。
「そうだ、イヴはルシードって知ってる?」
「・・・なに?」
走っていたイヴが急に俺を見て立ち止まる。
「どこでその言葉を聞いた?」
「アスモデウスが、私の事をルシードだって」
「な、なんだと!? どうしてそれを早く言わない!」
そんな事を言われてもなぁ・・・。
言わなきゃいけない理由が無かったっていうのがでかい。
「で、なんなの? ルシードって」
「ルシードは・・・」
そこまで言ってイヴは言葉を切ったかと思うと、
急にどこかを睨みつけながら走り出す。
その表情からは焦りが感じられた。
「どっ、どうしたの?」
「今・・・吸血鬼の強い力を感じた。
まずいな、真白が襲われている可能性が高い」
「えっ!?」
そうなるとルシードの話どころじゃない。
イヴが走る方向へと俺はついていく。
路地裏へと走っていくイヴ。
走りながらイヴは言った。
「吸血鬼には想い人の記憶を対象から呼び出し、
想い人に成りすますマインドフェイクという能力がある。
凪・・・それがどういう事か解るな?」
「ええ。真白ちゃんが恋をしてるとしたら・・・
最悪の方法で彼女を襲ってるって事でしょ」
「・・・ああ」
自意識過剰であるのかもしれない。
だがもしもその吸血鬼が俺の顔で、
何も知らない真白ちゃんを襲ってるとしたら・・・。
ぞっとしない考えだった。
吸血鬼だかなんだか知らないけど、
そんな野郎は絶対に許さねぇ。
頼むから俺達が見つけるまで無事でいてくれよ・・・。
俺とイヴは全速力でアスファルトを駆けていった。
|
Chapter35へ続く