Back

銀色の花嫁

著作 早坂由紀夫

Chapter35
「黒い種(U)」

9月03日(水) PM19:36 雨
市街・路地裏

雨が降り続く中。
俺とイヴはひたすらに走り続けていた。
さっきからしている嫌な予感は依然止まってくれない。
T字路を右に左にと走り続けながら、
真白ちゃんを探し続ける。
「イヴ、まだなの!?」
「・・・この十字路の先だ」
そうして俺達は十字路を真っ直ぐに進んでいった。
するとそこにはコウモリの大群が佇んでいる。
まるで俺達の進路を塞ぐように。
いかにもって感じだが一般人にしてみれば不気味だな。
だがイヴは無言で炎でコウモリをなぎ払っていく。
さすがはイヴだ・・・頼りになる。
その先には一人の男と真白ちゃんがいた。
真白ちゃんは真っ直ぐにその男を見つめている。
すかさずそこへとイヴが黒い炎をたたき込んだ。
「っ・・・!」
すんでの所で男は跳躍して炎から逃れた。
俺はすぐに真白ちゃんの元へ駆け込んでいく。
服を脱がされてただけ・・・みたいだな。
「大丈夫!? 真白ちゃん」
「・・・え〜と、なんで同じ事を言ってるんですか?」
「はい?」
真白ちゃんは急に抱きついてくる。
そして甘い声でとんでもない事を囁いてきた。
「私達、一つになるんですね」
「わぁあっ、真白ちゃん・・・目を覚ましてよっ」
軽く頬を何度かぺちぺちと叩いた。
彼女は少しびっくりしながら俺をまじまじと見る。
その顔は今にも泣き出しそうな物だった。
「ど、どうしてぶつんですか〜?」
「いや・・・なんか様子がおかしかったから」
俺のその言葉は真白ちゃんを傷つけたらしい。
彼女は泣きながらさらに強く俺に抱きついてきた。
まだ服がはだけてるままなんだけど・・・。
「凪さんが好きだって言うから、
 恥ずかしいの我慢してたのにぃ〜〜」
「ちょ、ちょっと泣かないでってば。
 真白ちゃんは騙されてたんだよ」
「だっ・・・騙してたんですか?」
驚きの混じった泣き顔で俺を見る真白ちゃん。
完璧に俺が何かしたんだと誤解してる。
「私じゃなくて、吸血鬼の奴が私に化けてたんだよ」
「え・・・じゃ、じゃあ私今までフィメールと・・・?
 じゃあ吸血鬼になっても構わないって言ってくれたの、
 凪さんじゃなくて・・・!」
そう言うなり真白ちゃんは口元を押さえる。
・・・まさか何かされたのか?
だが俺が何か言おうとすると、
真白ちゃんはまた泣き出した。
「なにか・・・されたの?」
「キスされちゃいました・・・凪さんのフリしたあいつに」
「ごめん、私がもっと早く来てれば・・・」
「良いんです。また・・・キスしてくださいね」
いや、それじゃまるで恋人じゃないか?
と言いたいが泣いてる真白ちゃんに、
それを言う事は少し酷い気もした。
なにより俯いて涙する真白ちゃんの姿は可愛すぎる。
その頼りなさそうな姿を見てると、
今すぐキスしても良い様な気さえしてしまう。
俺はそれを堪えると真白ちゃんに言った。
「とにかくここでじっとしてて。
 私は吸血鬼を追うから」
「や、やですよっ! 一緒にいて下さいよぉ〜」
右腕をがしっと掴まれる。
そうこうして俺が戸惑っている間に、
イヴと吸血鬼はどこかへ行ってしまった。
「はぁ・・・私の出番はここまで、か」
とりあえず真白ちゃんは無事だった。
だからこれで良しとしよう。
後はイヴが上手くやってくれるよな・・・。

9月03日(水) PM19:40 雨
市街・ビルの屋上

フィメールは慣れた動きでイヴから逃げる。
勝てないとは思っていなかった。
しかし無傷では済まない事は解っていた。
敵の多い吸血鬼にとって、
勝敗の見えない闘いは無駄以外の何者でもない。
そんなフィメールを逃すまいと全速力で追うイヴ。
彼女はそうやって追いながら考えている事があった。
(私は・・・奴を滅した後、真白も抹消するのか?)
一度はためらい無く殺そうとした者ではある。
だがイヴには少しずつためらいが生まれていた。
今まで無差別に消してきた命の灯火。
イヴは全ての命に対して公平でなければならない。
だからこそ誰が相手でも躊躇無く殺す事が出来るのだ。
しかしそんな事を考えた時点で、
もう真白を殺す事など出来るはずもなかった。
そんな事を考えていたせいか、一瞬の判断が遅れる。
フィメールのコウモリ達が一斉に襲いかかってきた。
「くっ・・・邪魔だ!」
次々とコウモリを薙ぎ払っていくものの、
気付けばフィメールの姿はなかった。
「しまった・・・!」
コウモリはフィメールが逃げる為の撹乱だった。
イヴはまんまとフィメールを逃がしてしまっていた。

9月03日(水) PM19:43 雨
市街・路地裏

私は服を着直すと凪さんと学園へ向かっていた。
凪さんが持ってきた傘で相合い傘。
なんかこういうのって幸せだなぁ〜。
前を見ている凪さんは私の視線に気付いてない。
どうしよっかな・・・不意打ちでキスしちゃおうか。
そうでもしなきゃ凪さんとキスなんて出来ないもんね。
紅音さんだっていつも不意打ちでキスしてるし。
それが当たり前だと思わせていけば、
その内に自然とキスするような仲になれるかも・・・。
まあそんな事は出来ないけど。
せめて手を握るくらいが精一杯。
でも結局、凪さんって私のピンチに現れてくれるんだなぁ。
私がどうにかなっちゃう前に必ず助けに来てくれる。
ホント・・・闘って死のうなんて思ってた私が馬鹿みたい。
「私が言うのも何だけど・・・真白ちゃんはさ、
 他人に迷惑を掛けないようにって思いすぎだと思うよ」
「え・・・そう、ですか?」
「うん。まあそこが長所でもあると思うけどね」
「長所、ですか?」
まるで私を虜にしようとしてるみたいに、
その言葉は甘く心に響いていった。
普通の言葉でもこの人が言うと全然違う風に聞こえる。
ああ、やっぱり凪さん以外の人なんて考えられないなぁ。
私は思わず凪さんの腕に抱きついていた。
凪さんはちょっと驚いて傘を落としそうになる。
この人のこういうウブな態度ってホント、可愛い〜。
「真白ちゃん、危ない女の子だと思われるよ・・・」
「ふふ〜、良いじゃないですか〜。
 人通りが多くなったら離れますからぁ〜」

  「・・・ふん。呑気なものだな、貴様ら」

怒りに染まった声。
振り向くとフィメールが鬼の形相で睨んでいる。
私はその顔を見ただけで震え上がってしまっていた。
本能的にぎゅっと凪さんの腕を掴んでしまう。
「安心してていいよ、私が護るから」
「な、凪さん・・・?」
でも凪さんって普通の人だよね。
吸血鬼相手にどうする気なんだろう。
ただその表情は無茶をしようという顔には見えない。
それどころか凪さんはフィメールに対して
怒っている様にさえ見えた。
凪さんは傘を私に渡して構える。
「貴様、ふざけているのか? 寝ていろ・・・!」
フィメールが物凄い速さで凪さんに飛びかかる。
彼は手刀で切り裂こうと風を纏っていた。
あんな一撃をまともに受けたら死んじゃうよっ!
「凪さんっ!」
私が止める間もなく凪さんの身体が切り裂かれて・・・。
切り裂かれて?
目の前の凪さんは全くの無傷だった。
片手でフィメールの手刀を受け止めている。
「え・・・!?」
驚きを隠せなかった。
フィメールもそれは同じだ。
「馬鹿な・・・貴様、人間か?」
「・・・さあね。私も知らない」
そう言うと凪さんはフィメールをはじき飛ばす。
彼は近くの壁に激突しかけたけど上手く着地した。
凄い力で吹き飛ばしたように見えたけど、
凪さんにそんな力があるわけない。
だとしたら一体何が起こったの・・・?
「油断していたとはいえ見事なものだ。
 いいだろう、貴様を抹殺してからその女を連れて行く」
フィメールは凪さんに標的を絞ったみたいだ。
私の為に命をかける凪さん・・・。
構図としては凄く嬉しいものだと思う。
けど凪さんには危険な目にあってほしくない。
そうだ、もし私がフィメールの言う通りにしたら、
そしたら彼は凪さんを傷つけないでくれるかな・・・。
でも凪さんはそんな私の考えが解ってるみたいだった。
「何があっても自分を犠牲にしようなんて思わないで。
 君は人間なんだから。そして大切な友達なんだから」
にこやかに微笑みながら凪さんはまたフィメールを見やる。
どこか凪さんからは自信みたいなものが見えていた。
私も何故か解らないけど、自然と不安は消えていた。
そして何もない所から剣を生み出すフィメール。
それに驚いた様子もなくて、淡々と凪さんは前を見据える。
次の瞬間にフィメールが凪さんに再び飛びかかった。
フィメールの剣が凪さんの肩口に届く刹那。
「・・・浄化の光、エメラルドグリーン」
そんな言葉が聞こえた気がした。
そして私が何かを認識する前に光が辺りを覆い尽くす。
不思議なエメラルドの光が――――――。
「わっ・・・!?」
目を開けていられない。
とにかく凄い質量の光が全てを飲み込んでいった。
そしてあまりにもあっけなく全ては集結をみる。

9月03日(水) PM19:47 曇り
市街・路地裏

いつのまにか雲は静かに停滞していた。
代わりにアスファルトには幾つもの水たまりが出来てる。
そして、フィメールという吸血鬼は消えた。
俺がこの手で消滅させたんだ。
自分でもそんな力があるとは思っていなかった。
でも・・・知っていた。
エメラルド色した光が相手を浄化したんだ。
現世には欠片も残らないくらいに。
そして遥か彼方の空へと消えていった・・・。
俺は何気なく自分の両手を見つめてみる。
どうして、こんな力を持ってるんだろう。
ただあいつがココにいるっていう事は、
イヴをどうにかして来たんだって思った。
そしたら頭がからっぽになって・・・からだが動いてた。
隣の真白ちゃんも俺を驚きの表情で見つめている。
「・・・フィメールはどうなったんですか?」
「死んだんだと思う・・・俺、一体・・・」
もしかするとこれがアスモデウスの言っていた・・・?
「少し来るのが遅かったようだな」
そんな事を言いながらイヴが現れる。
無事だったみたいだ。
無意識に俺は胸をなで下ろしていた。
だが、その表情はどこか醒めたようなものだった。
俺を一瞥すると真白に近づいていく。
「イヴ、真白ちゃんをどうするの?」
「・・・どうする気もない。
 何度やっても、黒の炎では焼けないだろうからな」
「え? それ・・・どういう事?」
確か悪魔とか吸血鬼は、
黒の炎で焼き尽くされるんじゃなかったのか?
俺がそんな事を聞く前にイヴは答えていた。
「お前の血が真白を守っている。
 ルシードの血がそこまでとはな・・・厄介なものだ」
そう言ってイヴは苦笑いする。
「・・・ルシードって、私って一体何者なの?」
俺は俺自身が何者なのかを知りたかった。
自分が人間じゃないなんて信じたくはないが、
吸血鬼を跡形もなく消すなんて人間のなせる業じゃない。
「先に言っておこう。
 ルシードは人間でも天使でも、何者でもない。
 ルシードという存在なのだ」
先にそんな事を言われても良く解らなかった。
でも、つまり俺は人間じゃ・・・無いって事か。
そんな俺の落胆が見て取れたのかイヴは言う。
「勘違いするな、今のお前は人間だ」
「でも今、ルシードは人間じゃないって・・・」
「ああ。だがお前はまだ覚醒していない。
 正確には因子が昇華していないと言うべきだがな。
 つまりお前はまだ人間なのだ」
「じゃ、じゃあ今の力って・・・」
「覚醒の片鱗のようなものではあるな。
 とにかく凪がルシードであると知れた以上、
 これから悪魔が凪を狙ってくるだろう」
イヴの説明口調も慣れてしまったな。
でも言ってる事は今までで一番ショッキングだった。
何にせよ俺は人間じゃない何かだったわけだ。
「あれ、でもどうして悪魔が私・・・ルシードを?」
「お前が唯一の道標だからだ」
「・・・道標?」
悪魔ってどこかに行きたいのか?
ただその体温の感じられない道標という言葉には、
多少なりとも嫌な感じを受けざるをえない。
さらにイヴは話を続ようとするが、
真白ちゃんがくしゃみをした。
「あ、真白ちゃんが風邪引いたら大変だよ。
 この話は学園に戻ってしよう?」
「・・・そうだな」
そうして俺達は学園へと歩き出した。
その途中の道で真白ちゃんは言う。
「よく考えると・・・フィメールって、
 私の仲間だったんですよね」
雨の止んだ後の夜空には幾つもの星が瞬いている。
そんな空を見上げながら真白ちゃんは複雑な顔をしていた。
「・・・君は人間だよ。だから君は間違ってない。
 少なくとも私は・・・そう思うよ」
「凪さん・・・ありがとう」
俺の肩に顔を埋める真白ちゃん。
少しだけその肩は震えていた。

9月03日(水) PM20:03 曇り
寮内エントランス一階

真白ちゃんを部屋に帰すと、
俺とイヴはエントランスに来ていた。
前置きも何も無しにイヴは続きを話し始める。
「いいか、まず天使が主に活動しているのは、
 アルカデイアと呼ばれる場所なのだ。
 天国の事だと思ってもらって構わない。
 そして悪魔が生息する場所。
 それがインフィニティ・・・つまり地獄だ」
「へぇ・・・」
アルカデイアにインフィニティか。
想像もつかないがきっとどこかにあるのだろう。
「それってどこにあるの?」
「私も場所は知らない。
 いや、私だけでなく誰も知らないのだ」
「え?」
だってそれじゃどうやって帰るんだ?
家路を知らない子供みたいに、迷子になっちまう。
「勿論ちゃんと帰る方法はある。
 精神体の状態で上空へと昇っていくと、
 宇宙に行くより先にアルカデイアに戻っているのだ。
 悪魔はまた別なのだが・・・な」
そう言って一息つくイヴ。
俺は自販でコーヒーを買ってくるとイヴに渡す。
自分は午後ティーを買ってくる。
だがイヴはコーヒーが好きじゃないらしく、
軽くむせてしまった様だった。
絶対に好きだと思ったんだけどな・・・。
「けほっ・・・もうこの飲料は飲まん。
 前述した様に悪魔は原則として、
 アルカデイアの場所を知る事は出来ない。
 天使を捕まえても天使も場所を知らないわけだからな。
 だがお前は違う、お前は辿り着く事が出来るのだ」
「出来ないよ」
「・・・出来るのだ」
イヴはそう言うと自然とコーヒーに手を伸ばす。
そしてまたむせかえってしまった。
飲まないって言ったのに・・・どうして飲んでるんだろ。
「おほん・・・ルシードは神の分身の片割れなのだ。
 浄化と再生を司る者、そして導く者。
 それ以上は私も知らないが・・・一つだけ覚えておけ。
 神が定めた事にはあらがえない」
それはある意味ではイヴらしい言葉だった。
だがどこか諦めに似た言葉にも思える。
運命が変えられないというようなものだ。
「お前はいつかルシードとして覚醒するだろう。
 それでも悪魔にだけは手を貸すなよ・・・良いな?」
「解ってるよ。そしたら骨も残さず焼くんでしょ?」
「・・・馬鹿を言え。それが出来るのは魔の者だけだ」
そう言われてみればそうか。
じゃあ今のはイヴからのお願いみたいなもんだ。
なんか・・・ちょっと嬉しいな。
なんで嬉しいのかは解らないが。
その後、しばらく歓談した後で俺達は別れた。

9月03日(水) PM20:12 曇り
寮内自室

自分の部屋に帰ってきたが電気がついてない。
また紅音の奴は出かけてるのかな?
そう思ったが、紅音は静かに窓辺に立っていた。
灰色に染まった空をじっと見つめている。
声をかけようとしてためらいそうになった。
「・・・紅音?」
「凪ちゃん・・・」
その声にはどこかいつもの元気がない。
それにいつもは俺が帰ってくる度に抱きついてくるのに。
目の前の紅音は少し儚げな印象さえ抱かせた。
何かを聞こうとしても言葉が出てこない。
どんな事を聞けば良いんだ?
そうやっている内に紅音がこっちに歩いてくる。
そのまま・・・そっと俺に寄りかかってきた。
「どう、したの・・・?」
「最近・・・なんか変なの、変な感じがするの」
「変な感じ?」
紅音は真剣な表情をしたまま、ゆっくりと俺の肩に頭を置く。
間近で見る紅音の顔はいつもと違って妙に大人びていた。
「・・・ううん、なんでもない。ごめんね凪ちゃん」
そういうといつもの紅音の表情に変わる。
ただ、どこか無理したような表情だった。
「紅音、私に言える事なら話してみて」
俺は努めて優しく声を出してみる。
紅音は少しだけ悲しげに笑いながら言った。
「うん・・・私、時々怖くなるんだ。
 自分が自分でなくなっていく気がして」
一瞬だが紅音の顔は泣きそうな風にさえ見えた。
その言葉の真意は俺にはわからない。
紅音も良く解らないのかもしれない。
俺はただ紅音を抱き寄せて、優しく頭を撫でた。
「・・・変な事言ってごめんね」
「ううん。でも紅音は紅音だよ。
 それは私が一番解ってる」
そう言ってもう一度俺は紅音の頭を撫でる。
少し紅音はびくっとして驚いた様な仕草を見せるが、
すぐに俺の肩口に顔を埋めて言う。
「ふふっ・・・ありがとう」
その時、俺はまったく気付いていなかった。
抱き寄せている紅音の表情が、
一瞬怪しげな微笑みに変わった事に・・・。

Chapter35へ続く