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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Eden's Blue

Chapter154
「Miserere meae Deus -04-」
 


04月10日(金)  PM21:51
インフィニティ・コキュートス

 アモンという男は、盟主としてルシファーを掲げる悪魔だ。
 外見は四十代半ばほどで、黒い長髪と鼻先から口の両端へと伸びる短めの髭が、彼の大きな特徴と言えるだろう。
 ギンヌンガガフの扉を守る彼のもとには、過去に多くの悪魔が現れた。
 ルシファーを無理やりにでも復活させようという輩である。
 それらは扉に触れることすら出来ず、コキュートスの塵と消えた。
 今では若い無謀な悪魔たちでさえ、彼への挑戦を考える者は一人もいない。
 何故、そこまで扉を守り続けるのか。誰かが彼にそう尋ねたことがある。
 その答えは実に単純なものだ。
 盟主たるルシファーが、彼に命令したからだ。
 時が来るまで扉には何者も近づけぬよう、と。
 万魔殿の屋上へと飛びあがると、アモンは鍵を伸縮させて両手で抱える。
 その大きさはまだ十メートルはあろうかというものだが、
 イメージゆえなのか重さなどないように彼はそれを振り回してみせた。
「あんたがある程度強いのは認めてやる。ルシファーに忠実なのもね。
 もし、もっと融通の利く悪魔なら――長生きも出来たかもよ」
 大きくその黒い翼を羽ばたかせると、彼女は上空で動きを止める。
 あまりに禍々しいディアボロスのイメージに、アモンは警戒を強めた。
 百戦錬磨の悪魔だからこそ、彼女の恐ろしい力をはっきりと感じられる。
「対になる者――或いは終を成す者、そう呼ばれるだけのことはある。
 以前ここに来たルシードとは比べ物にならない破壊の力だ」
 ただ彼女が想像するだけで、彼女の周囲がそのイメージに支配されていく。
 悪魔よりもおぞましく、何よりも退廃的。
 これ以上ディアボロスに何かさせては危険と判断し、
 屋上からアモンは攻撃へ打って出ることにした。
 手にある鍵の形状が先ほどよりも複雑な形に変化していく。
 攻撃に特化したマイ・ダイイング・ブライドの形状だ。
 形を変えた鍵は、半回転すると忽然と姿を消してしまう。
「終わりだ、ディアボロス」
 消えた鍵は次の瞬間、ディアボロスの胸を貫いていた。
 意味が分からず、彼女は口から血を吐きながら不思議そうな顔をする。
 口を押さえるが血は止まらない。鍵は完全に心臓を貫いていた。
「が――は――」
「ここからでは聞こえないだろうが、高速で貴様の胸を貫いたわけではない。
 マイ・ダイイング・ブライドは空間をねじる力を持つ。
 貴様のように動かない相手ならば――確実に葬ることができる」
 鍵は空間を圧縮し、反動で対象と重なる座標に移動する。
 それが、結果として対象を一瞬で貫く一撃となるのだ。
 動きまわれば全く役に立たない力だが、その代わり一撃必殺の威力を持つ。
 なのだが――アモンは、すぐに異様な光景を目にした。
「グ、グ、アアアア!」
 凄まじい咆哮と共に、ディアボロスの胸を貫いている鍵が粉々に砕ける。
 そして、ぽっかり空いた胸の穴がみるみる内に塞がっていった。
 急所を貫かれて死なない生物は存在しない。
 天使や悪魔もそれは例外ではなかった。
 だからこそ、その規格外の現象にアモンは驚かざるを得ない。
「馬鹿な――! こんな、こんなことが――」
「今度は、私の番だ」
 張りつくようなディアボロスの声が、アモンの耳に聞こえてきた。
 かなりの距離、相手は大きな声をだしていないというのに。
 彼女は十数メートルという大きさの翼を広げ、
 小さな光の粒を無数に具現し始める。
 一つ一つが凄まじいイメージによって造られた光だ。
(よく解らんが――あれは、何かまずいものだ――!)
「――ワンセカンド・ドラコニアン・タイム」
 言葉とほぼ同時、光は眩いばかりの筋となりアモンへと向かってくる。
 まるで磁力線を描くように、円を描いて全ての光が彼へと収束していく。
 発散された光はイメージなので、本物よりはかなり速度が遅い。
 だとしても、とてもではないが回避可能な速度ではないだろう。
 かろうじて防御に集中できたアモンだが、光は彼の全身を貫いていった。
「ぐああああっ!」
 アモンがイメージした防壁を、光は難なく破砕し通過していく。
 腕や脚がその閃光で貫かれ蜂の巣になり、千切れとんでいった。
 全ての光が直撃した後、彼の身体が残っていたのは奇跡といえる。
 ぼろきれのようになりながらも、虫の息で彼は生きていた。
 喉を貫かれているので口からはひゅうひゅうと音が零れるだけだ。
 ディアボロスは、彼の傍に降り立つと笑みをこぼす。
「無様ね――でも残念だわ。存在ごと消すには、
 少々イメージの練り込みが足りなかったみたい」
 トドメを刺そうと彼女はアモンへと手をかざした。
 すると、ディアボロスの意識へ聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「それ以上は君の品格を下げることになるよ、華月夢姫」
「この声は――ルシファー!」
 どんな方法かは不明だが、ルシファーは彼女の意識に語りかけていた。
「さあ、ギンヌンガガフの扉を開くといい。君なら可能なはずだ」
「フン――勿論そのつもりよ。私は貴方に用があるんだから」
 彼女は、屋上から中心にあるギンヌンガガフの扉へと降りていく。

04月10日(金)  PM22:15
ギンヌンガガフ

 扉に施された多次元構造の封印は、彼女の力で強引に破壊された。
 こと破壊するという行為で、ディアボロスの右に出る者はいないだろう。
 彼女自身、それを知っているからこそ誰が相手でも強気に出られる。
 ある種ディアボロスに引きずられている、と取ることもできた。
 巨大なギンヌンガガフの扉は、彼女の手で乱暴に開かれていく。
 その先にあったのは大きな空洞だった。
 暗闇でよくは見えないが、途方もなく大きな空洞に、
 途方もなく巨大なサイズの何かがじっと佇んでいる。
 目を凝らしてみると、そこに佇んでいたのは大きな龍だった。
「これは――」
 感嘆した表情でディアボロスはその龍を眺める。
 蛇に似た顔つきをしているが、それはまごうことなき龍の姿だ。
 つまり、これこそがルシファーの完全体。
 彼がかつて天使と闘った際の姿ということになる。
 荘厳さすら漂うその姿に彼女が圧倒されていると、
 ふっと一人の青年が龍の前に姿を現した。
「久しぶりだね、夢姫」
「――ルシファー? 夢に出たのと、姿が違うわ」
「普段は子供の姿だけど、こっちが僕の本来の姿――とでも言っておこう」
 言葉通り、彼は子供ではなく二十代から三十代ほどの精悍な青年に見える。
 以前と変わらないのは、全てを見透かすように冷たく悲しげな瞳だ。
 悲しそうに笑っているような顔をして、ルシファーは言葉を続ける。
「それより――君は僕に話があってきた。そうだよね?」
「ええ。私は貴方に冥典を探せばなぁ君に会えると言われた。
 だけど、これはどういうことなの? 私は――」
「会えたんだろう?」
「――解ってたのね。こうなること」
 彼女の問いに軽く頷くルシファー。
 華月夢姫という少女の求める場所が既に存在しないこと。
 紅音という女性が、既にその座についていたこと。
 更に言えばディアボロスが忘れようとした記憶を呼び覚ますことも、
 全て承知の上でルシファーはあえて冥典を探させた。
「貴方のほうは、冥典も手に入ってさぞかし嬉しいでしょうね」
 皮肉交じりに彼女はそう言って笑みを見せる。
 瞳は鋭くルシファーのことを睨みつけていた。
 そんな態度をかわすように、彼は腕を組んで薄く笑みを浮かべる。
「僕はね、冥典を求めていたというより――君の成長を待っていたんだ。
 だから――冥典自体は、君が目覚める切欠であればそれでよかったのさ」
「は? 意味が分からないわ」
「まあ、今は説明しても解らないだろうね」
 ルシファーの態度が癪に障ったのか、彼女は殺気を纏い始めた。
 一触即発、というべく辺りの空気が緊張を帯びていく。
 それを見ても、ルシファーは構えることなく言葉を続けた。
「にしても、文句を言うためにここまで来るとは愉快な娘だ。
 こう思ってるんだろうね。高天原凪に自分は相応しくないと」
「そんなこと――ないわ。なぁ君は、私のものなんだから――」
「ならば何故彼を無理にでも奪おうとしない? 今の君なら容易いだろう。
 君は、彼が全てを受け入れて君のもとに来ることを願っているが、
 かといって自分が彼に受け入れられるとは思っていない。違うかな?」
 図星をつかれたのか、ディアボロスは返す言葉もなくわなわなと震える。
 その表情には少し赤みがさし、怒りで興奮しているようだ。
「黙れ――お前に、何が解る!」
「良い顔だ。ヒトは、感情を曝け出してこそ真に美しい」
 余裕さえ窺えるルシファーだが、彼女を甘く見ているわけではない。
 ディアボロスが限界を超え、彼を襲ってくるのがいつか解っているのだ。
 そのタイミングまで彼は構える必要がない。
 そして、更に言えばルシファーは自分の敗北がないと確信していた。

 

「我慢ならないわ――人を利用しておいて、知った風なこと言いやがって!」
「闘う道を選ぶしかない、か。言葉で解りあえないのなら仕方ない」
 ここでようやく彼は腕を広げ、迎え撃つような素振りを見せる。
 あらゆる悪魔の盟主たる存在の迫力が、そこからは充分に窺えた。
 対するディアボロスも威圧感では負けていない。
 純粋に破壊する力ならば、むしろ彼女の方が上と言えた。
「ふん――門番の悪魔と私の闘いを知覚していたでしょ。
 今更、古臭い魔王なんてお呼びじゃないのよ」
「確かに君は強い。それに、パラダイム・シフトまで君は無敵だしね。
 けどね、僕が負けることもまたアーカーシャの記録にはないんだよ」
 力以上の何かがルシファーの余裕に繋がっている。
 不気味なものを感じながらも、ディアボロスはそれを振り払った。
「何がアーカーシャよ。そんなもの信じるものか!」
 イメージで固められた右拳を振り上げるディアボロス。
 舞うような動きでルシファーはその打点をずらす。
 動きの流れに逆らわず、そのままルシファーはくるりと回転し、
 ディアボロスの右胸付近に裏拳を叩きこんだ。
「ぐっ――」
 攻防一体となった動きで、彼女は後方へ勢いよく吹き飛ばされる。
 勢いを殺す間もなく、端にある岩壁に激突した。
 深手ではないようだが、思ったより痛みがあったらしく、
 胸のあたりを押さえながらディアボロスは立ち上がる。
「天使と悪魔含めてもトップクラスの実力者なだけはあるわね。
 でも、すぐに解るわ――私の方が強いってこと」
「力なんて、大した意味はないさ。特に一個体の力なんて、無為に等しい」
 諭すような顔でそう言うと、ルシファーは虚しそうに下を向いた。
 傲慢を象徴すると言われる悪魔らしからぬ態度だ。
 目を伏せながら、彼は近づいてくるディアボロスに続けて話しかける。
「君は思い通りにならない怒りを僕にぶつけにきたんだね。
 思い通りになるはずがないと知りながら、願うことを止められない。
 やり場のない感情は矛先を探し、僕へと辿り着いた」
「だったら――だったらなんだっていうのよ――!」
「出来るだけ、僕も怒りの発散を手伝ってあげよう」
 ルシファーは思い立ったように巨大な龍へと歩いていく。
 意外な行動に、ディアボロスは立ち止まって様子を見ることにした。
 龍の足元へと向かうと、ルシファーの姿が光りはじめる。
(これは――完全な姿に戻ろうっていう気なの?)
 精神体と分け隔てた肉体が融合を始めていた。
 一時的なものなのか永劫的なものかは解らないが、
 ディアボロスはそれがどういう意味を持つのか解っている。
 かつて神へ牙向いたという悪魔の、本当の実力が明らかになるのだ。
 龍の大きな口元がゆっくりと開いて、低い声が聞こえてくる。
「さて、久しぶりで上手く加減が出来るか心配だよ」
「――偉そうに!」

04月10日(金)  PM22:50
現象世界

 そのころ、現象世界某所。
 一人の女性がイライラした表情で市街地を歩く。
 明らかにその国に住む人間ではないのだろう。
 右も左も解らないという様子で、人混みを流れるように進んでいる。
「ったく――フツー、あの手のワープみたいなのは、
 都合良く学園の前とかに出てくるもんなの」
 小さな声でぼやきながら、忌々しげに地面を蹴るのはカシスだ。
 一足早く現象世界に帰還していた彼女だが、
 出てきたのは見知らぬ国の何処かにある山腹だった。
 何しろ問題なのは、カシスは大使館というものをよく知らない。
 帰るには飛行機に乗る。それくらいしか考えていなかった。
(お金どうしよう――本当に現象世界はめんどくさい。
 インフィニティなら強奪すりゃ幾らでも――)
 そこまで考えて、はたと良いアイデアが思い浮かぶ。
 この状況でまともに金を稼ぐ手段などあるはずがない。
 ならば、ちょっとイリーガルな方法を取ってもいいはずだ。
 良くはないのだが、責めるのは凪くらいなので黙殺すればいいと考える。

Chapter155へ続く