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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

パラダイム・シフト

Chapter171
「開戦の花火」
 

 セフィロトの樹、その近辺を天使たちが探索している。
 神のもとへ続くであろう、エリュシオンへの道を見つけるためだ。
 とうに大抵の場所は調査済みで、
 入口らしきものがないことは確認している。
 それでアドゥスが納得するはずもなく、継続した調査が行われていた。
 調査部隊に所属する多くの天使は、作業に意味がないと考えている。
 アドゥスが主張する入り口、などというものは始めから無いのだ、と。
「――ったく、そもそも中が空洞かどうかも解らねえのに」
「おい、止めとけ。皆がお前の失言を黙っててくれるとは限らんのだぞ」
 樹から生えている蔦や幹を手でどかしながら、二人の天使がそう話す。
 そんなとき物陰で何かの動く音がした。
「誰かいるのか」
 返答はない。不気味な沈黙だけが辺りを覆っている。
 緊張が高まり、思わず天使二人は周囲に気を配り臨戦態勢を取っていた。
 悪魔がこんなところまで、既に来ていると言う可能性はまずない。
 動物か何かの気配かもしれない。砂漠とはいえ、生命は存在するはずだ。
 呼びかけに応えないことから推測すると、その可能性はありうる。
 少しの硬直。片方の天使が、意を決して音のした方向へと歩いていく。
 巨大な根を踏みしめ、蔦をかきわけて様子を伺った。
 そこに何かの姿はない。
「ふう――」
 安心して振り返った時、そこにいるはずの同僚の姿はなかった。
 仲間の天使は忽然と消え失せ、場を静寂だけが包んでいる。
 周囲を慌てて見回して見る。何処にも誰の姿も見えない。
 背筋に冷たいものが伝い、ふともう一度先ほどの物陰に目を向ける。
 そこには、干からびた天使が数人転がっていた。
 まるで全身の水分を抜き取られたかのように、骨と皮だけになっている。
 思わず声を上げそうになるが、天使はそれをこらえた。
 散開していた部隊員の何人かが目の前で死亡している。
 何かの攻撃を受けている可能性は高い。
(悪魔か? しかし、このような懐まで潜り込まれているとは考えづらい)
 それ以外の脅威が存在するのならば、それは由々しき事態だ。
 一刻も早く事態の報告と究明が必要となる。
 場を離れようと、彼は気を張りながら後退し始めた。
 何かが襲ってくるような気配は感じられない。
(待てよ。もし、これが樹の防衛機構みたいなものだとしたら)
 防衛機構の存在自体、今までの調査では確認されていない。
 この仮定が正しいならば、更なる仮定が成り立つ。
 重要な何かを保護するための機構なのではないか、という仮定だ。
 だとすれば、一刻も早く報告する必要がある。
(今まで当たり前に使ってきた現象世界との通行手段ではあるが、
 こうして見上げてみれば――なんと不気味で、途方もない)



 とある街から一台の車両が砂漠へと出発した。
 南にある街と西にある湖の間にある、樹を目指して。
 乗っているのは運転手のラツィエルを含む四人だ。
 食糧等を用意し、万全の態勢で車両を走行させる。
 車内で、ラファエルは凪がとった行動を咎めていた。
「幾ら相手が車両を貸し渋ったからって、
 身体で払うなんて言っちゃだめだよ」
「本気で言ったわけじゃないって。ちょっと色仕掛けのつもりで、ね」
 話の内容は、車両をレンタルする際のやりとりを巡ってだ。
 相手の男が煮え切らない反応をしていたので、
 凪が自分の身体で払うと言いだしたのだ。
 ラファエルにはその言葉が、何か凪らしくないようで腑に落ちない。
「それとも、私がそんなこと言うのは嫌だった?」
「え?」
 話せば話すほど、その性別が解らなくなってくる。
 目の前で悪戯っぽく笑みを浮かべる凪は、いったい何を考えているのか。
 真意が掴めずラファエルは困惑するしかなかった。
 助手席に座る黒澤は、目を閉じてその会話を聞いている。
 この変化が何をもたらすのか解らない以上、今は経緯を見守るしかない。
 ルシードの力が増している現状、プラスの変化は見てとれた。
(しかし、ラファエル君が気にしていることもわかる。
 強すぎる魅力は、何か超常的な――いや、それどころか――)
 現在の凪は、他に類を見ないという点において、
 天使や悪魔という存在からも逸脱した存在だ。
 神がかり的という言葉が当てはまる。
 だとすればルシードやディアボロスとは、
 関係性における天使と神の間を埋める存在なのか。
(或いは、それよりも――)
 そんなことを黒澤が考えていると、ラツィエルがふいに口を開く。
「慣れんのお」
「運転がということなら、交代していただきましょうか」
「――眺めじゃよ。あの樹はまるで、砂漠にそびえる塔のごとくじゃな」
 ラツィエルはそう言って、手で日除けをして遠くを見ていた。
 視線の先、彼の視界にはセフィロトの樹が既に見えている。
 距離感は掴めないが、おかげで方角に迷うことはなかった。
 快晴の砂漠という条件は、その異様な巨大さを認識させる。
 空港や街で話題になっていないことから、
 恐らく人目に触れないよう天使が結界を施したのだろう。
 凪たちに見えていることから、人間以外に隠すつもりはないようだ。
「確かに、あれからは異形の風格を感じます。
 現象世界には到底そぐわない規格外の構造体ですよ」
 二人が話していると、後部座席から凪が顔を覗かせる。
「いよいよ、ですね」
「ええ。まずは天使の目を掻い潜らなければなりません」
 樹の周囲に天使は大部隊を展開している。
 その包囲網を掻い潜らねば、樹へは辿りつけるはずもなかった。
「私が鏡の迷彩を具現すると言う手もあります。
 ただ、アレや類似の手段は恐らく天使側に警戒されているでしょう。
 一度アルカデイアで使ってしまいましたからね」
 種は割れていなくても、姿を隠してやってくると解っていれば、
 それなりの対処方法は存在していた。
 例えば、天使のイメージ感知能力を増幅するアンプリファイアがある。
 加えて人海戦術で探索されれば、いかに鏡の迷彩を纏ったところで
 見つかるのは時間の問題だ。
「なるべくは見つからずに済ませたいものだが、
 もし悪魔との戦争が激化しておったら混乱に乗じる手もある」
「そうだね。状況を考えれば、ぼくたちに回せる部隊は少ないはずだし」
 ラツィエルの提案は、ラファエルが賛同する通り妥当なものと言える。
 戦争の渦中へ飛び込むのは危険でもあるが、
 万全の天使軍を掻い潜るとしても同様だ。
 車を走らせながら、ラツィエルはミラーから後部座席をちらりと見る。
(すまんな――ワシはお主らに何もしてやれん。
 アーカーシャが導くまま、流されることしかできぬのじゃ)



 時刻は少しさかのぼり、セフィロトの樹から南西の砂漠。
 悪魔と天使の大部隊が湖を境にして対峙していた。
 あまりの数に、お互いその総数を計ることはできない。
 およそ一万の悪魔軍を指揮するのは、アガリア=レプトと呼ばれる女性だ。
 背は低く、幼い顔で遠くの天使軍を見据える。
「ひいき目にみても、我々の軍勢は天使より少ないか」
「そうですね――身震いがしてきましたよ、お嬢様」
 答えるのは彼女の配下、クー=シー=ウォン。
 毛深く体格のいい男の悪魔で、猿に近い容貌にスーツを着こなしている。
 その姿は気高く、獣らしさはあまり感じられなかった。
「負け戦にするつもりは微塵もありませぬがね」
「うむ――我が震えは武者の震えなり。ウォンよ、その命我に預けよ」
「承知」 
 アガリアは手を挙げると、遠距離攻撃部隊を前列へと促した。
「射程に入り次第、枯れるまで打ち尽くせ」
 各々、声をあげてイメージを練り始める。手段は違えど、
 彼らは全て遠距離攻撃のイメージを強く創造できる者たちだ。
 統制での一斉攻撃ではなく、個々が自由なタイミングで攻撃を始める。
 それが悪魔であり、天使との大きな違いだ。
「アガリアお嬢様、そろそろ我々は後方に下がりましょう」
「できれば最前線で戦いたいものだがな」
「指揮官としてルシファー様が選任されたこと、お忘れなく」
「分かっている。私とて、そのくらいのこと」 

 

 悪魔の攻撃が開始された頃、対岸から湖を渡ろうとする天使たちは
 防御用の膜をイメージして被弾を最小限に抑えていた。
 統率するのは智天使のオファニエル。
 彼は、アドゥスから選任されて内心嫌々ながらこの地に赴いていた。
(せっかくミカエルに上手く取り入ったのに、まさか戦地で
 指揮なんてやらされるとは――運がないものだ)
 安定と平穏を望む彼にとって、数で勝る戦いといっても嬉しくない。
 指揮による成果、功績を得るよりも、安全な場所で座っていたかった。
 そうはいっても今更引き返すわけにはいかない。
 オファニエルは諦めて、近くで待機する伝令役に話しかけた。
「この距離ではあちらの攻撃もさほど脅威ではないですが、
 我々も弾幕を張っておきましょうか。前列に攻撃命令を」
「了解しました!」
「にしても、彼らの攻撃は統一性がないですね。
 何かを狙っているのか、何も考えていないのか」
 ある程度まで距離を詰めれば、後は消耗戦となり天使の勝利は確実となる。
 そう推測しているオファニエルにとって、危惧するべきは特攻と奇策。
 陣形を維持し、距離を保つことでそれも避けられるはずと彼は考えた。 
 重要なのは少ない被害での勝利。イレギュラーがなければ、
 百繰り返して百勝てる戦いなのだから。

 

 一方、擬態したルシファーたちも天使が遠目に見える距離まで迫っていた。
 まだ天使たちは、敵がルシファーを含む本隊とは知る由もない。
「さて――どうせなら大きい花火で存在を知らせてあげようか。
 こういう役目に最適な悪魔が確か――」
「お呼びですか」
 そう言って名乗り出たのは、クサファン=ゼフォン。
 卑屈そうな顔と態度を滲ませているが、奥底には恐るべき本性を隠している。
 かつて天使との戦争を始める際に、アルカデイアに火をつけることを
 ルシファーに進言した悪魔だからだ。
 結局、その案はあと一歩で失敗したものの、恐れを知らぬ彼の行動は
 悪魔の中でも一目置かれている。
「君の花火を久しぶりにみせてくれるかい」
「ルシファー様のご命令とあらば、よろこんで」
 はにかむような笑みを見せ、クサファンは大きく飛び上った。
 躊躇ひとつせず、ルシファーの言葉を聞いてすぐ行動へと移る。
 はるか上空へと昇っていくと、彼は天使の真上で静止した。
 両手に炎のイメージを創造すると、あっという間に
 それを巨大なものへと膨らませていく。
「相変わらず、彼の得意なイメージに対する俊敏さは素晴らしいね」
 そうルシファーが評する通り、クサファンの強みはまさにそれだった。
 あまりに狭い想像力の幅ながら、創造に要する時間の短さは特筆に値する。
 一芸のみに特化した彼のイメージは、名を炎獄(ルベルギウム)と言う。
 クサファンは両手の炎を掲げ、空に放つ。
 炎は上空で何千何万の粒に分裂し、矢となって天使に降り注いでいった。
 あたかも、それは隕石の落下に似た凄まじい光景。
 突然のことに天使たちは、防御膜を張るがイメージが間に合わない。
 多くの天使が炎の矢に貫かれ絶命していく。
 運よく致命傷を免れた天使も、イメージの炎が体に燃え移りもだえ苦しむ。
「もう一発行くぜぇ!」
 彼自身イメージの具現化で消耗はしているが、
 それを感じさせない速度で再び炎を創造した。 
 天使たちは前列に被害が出ており、この一撃が決まれば大きく陣形が崩れる。
 だが、再び両手を掲げたクサファンの身体を真下から何かが貫いていった。
 見上げると、そこには一人の天使の姿がある。
「まずは一匹」
「て、めえは……確か、ラグエル。そうか、雷突で――」
 雷突で地上から彼のもとまで飛び上ってきたのだろう。
 長い加速で威力がついたのか、クサファンの体は大きく穴が空いていた。
「そういうお前はクサファン……だっけ?
 お前のような悪魔が、この部隊にいるなんて意外ね」
「ひ、ひひ――」
 ルシファー達のことを知らず、クサファンの存在を不思議がるラグエル。
 最後の気力で彼はそんなラグエルを嘲笑ってみせた。
「……強がってるつもり?」 
 意図が掴めず、ラグエルは彼の態度に怪訝な顔をする。

Chapter172へ続く